Sunday, March 9, 2025

トランプJoint Sessionスピーチ・税制改正・関税

議会によるGlobal Tax Deal対抗・報復措置のひとつ「Section 899」法案のポスティング中だけど、今日はチョッとBreakして税制改正や関税その他に関して。

Budget Resolution

上院・下院の双方が異なるBudget Resolutionを可決させた後、本来なら速やかに両院一致のResolutionを可決して実際の立法に進むべきなんだけど、相変わらず上院と下院のPriority温度差がくすぶっている状況。TCJAの2025年末失効(一部は2022年や2023年で既に失効済み)規定をBudget Window内の時限延長とするか、恒久化するのか、それに対応して$2Tの歳出カットをどこから手当てするか、Current Base Lineで予算調整法はクリアするのか、みたいな基本的なところで未だ意見調整中。

トランプは最近、上院の2-Trackよりも下院の1-Trackを押してる発言が目立つ。以前から触れてるけど、上院としては下院が一枚岩になって早々に1-Trackの法案を上院の意向も加味して策定できるんだったらそれはそれで問題ないけど、その点がイマイチはっきりしないんで、だったらまずは争点の少ない国境警備、国防、エネルギー政策にかかわる最初の法案を通してしまいたいっていうアプローチで、これはあくまでプランBっていう状態が続いている。

Joint Session of Congress

そんな中、3月4日の夜、トランプは「Joint Session of Congress」で100分に亘るNon-Stopパフォーマンスで、例によって息つく暇もなく次々と政権発足1か月強の実績を披露。未だにTDS(「Trump Derangement Syndrome」)の激しい(Fox以外の)レガシーメディアの反応は予想通りだけど、少なくともテレプロンプター棒読みのアンドロイドみたいなスピーチと違って、自分が「思ってること」を自分の言葉で表現するAuthenticityが感じられた。相変わらずの体力とエネルギー全開で100分あっという間。多岐に亘るトピックをこれでもかこれでもかって連打する姿を見てると、ふと映画Amadeusでモーツァルトがオーストリア皇帝Joseph II (マリー・アントワネットのお兄さん!)を前にブルク劇場でオペラ「The Abduction from the Seraglio」を指揮演奏してるシーンを思い出してしまった。「The Abduction from the Seraglio」みたいな複雑かつ難解な音楽を気楽な娯楽かのようにパッケージして音の洪水で圧倒するモーツァルトの姿だ。映画では、複雑な楽曲を何の苦も無くNaturalに表現している姿をギャラリーからサリエリが観察していて、同じ音楽家だからこそ分かるその才能、すなわち苦労なくそんな作品を創作できるモーツァルトの恐ろしさに驚愕すると同時に怒りすら感じていた(実際に何があったかは知る術もないけど、あの映画、サリエリにはチョッと不名誉だよね)。演奏終了後に皇帝が「余りに凄すぎて人間が消化できるレベルの音数を超えてる」みたいなコメントをすると、モーツァルトが「具体的にどの音が過度なんでしょうか?必要な音のみを使って曲はできてて、それ以上でも以下でもない」と歯向かったりしてる。映画だから実際にあった会話じゃないとは思うけどね。なんかFlood the zoneのトランプに似てるよね。

ちなみにこの「The Abduction from the Seraglio」は、大作のオペラとしては初のドイツ語作品って言われてて、映画ではオペラにドイツ語を使うかどうかにかかわる伏線がある。オペラを依頼(Commission)するために皇帝がモーツァルトを宮廷に招いた際のやり取りだ。サリエリがモーツァルト歓迎のために特別に作曲したマーチを皇帝が気に入り、皇帝が自らそれを弾いてる中モーツァルトが登場するんだけど、モーツァルトは一回初めて聴いただけのサリエリのマーチを暗記してしまい、その場で暗譜でパーフェクトに再現して一同を驚かせる。さらに再現するだけでは終わらず「この曲これで終わりで後は一緒なんだよね?」、「ここんところチョッとイマイチだよね」、「こんな風にしようって考えなかった?」、「だいぶマシになったでしょ?」とか言いながらアドリブで複雑かつ華麗な全く別の作品(アレってフィガロの「Non più andrai」だよね)に仕手てしまったあのシーンだ。

その際、モーツァルトに依頼するオペラをイタリア語にするかドイツ語にするか、に関して皇帝が取り巻き達と議論する場面がある。モーツァルトは「ドイツ語でしょ」って言ってイタリア派の顰蹙を買うけど、その後に「まあ、トルコ語(トルコはThe Abduction from the Seraglioの舞台)でもいいけどね~」とか惚けたこと言って軽く流してる。当時のウイーンの音楽界はイタリア派の影響力が強く、それに対して皇帝はドイツ語を国語に定めようとしたりドイツ主義だったらしい。結果「ドイツ語で行く」と鶴の一声となり、イタリア系の取り巻きは目を丸くしたっていうことになっている。

まあオーストリアとドイツ(当時はまだHRE?)だったら、アルプス越えのイタリアと比べると行き来は楽だっただろうし、モーツァルト生地のSalzburgとかからだとウイーン行くよりミュンヘンに行く方が断然近いもんね。夜中にSalzburg市街を出て真っ暗(本当に真っ暗)なA1から国境超えてアウトバーン8に入るとスピード制限ないから結構飛ばしてる車も多い。EU内の移動だけど、自動車だと一応国境検問みたいなのがあってPolizeiってジャケット来た長身のポリスにドイツ語チックな英語で「どこに行くのか」とか質問されるとチョッと怖い感じ。

そう言えば、むかし東京でCGとか読んでた高校生くらいの頃、「アウトバーンってスピード制限ないって知っている?」みたいな話しで友人と盛り上がり、どの車でアウトバーン走りたい?みたいな空想の世界の話しになり、大別するとまずは「メルセデスのSL派」。多分アメリカンジゴロとか見過ぎの一派。あれ再現するんだったらアウトバーンじゃなくてPCHだけどね。当時のアルマーニの細めのタイしめて。その後大人(?)になってから「Call Me」大音量で炸裂させてPCH走ったりしてみたけど(SLじゃなくて…SLKで)髪の毛は逆立つし、砂の飛散とかで散々。アルマーニって言えば アメリカンジゴロでアルマーニってブランドを知った読者も多いのでは? 当時はもちろんデパートとかにはあんまり置かれてなかった記憶があり、ホテルニューオータニの本館と新館をコネクトしてたCorridorにあった品揃えブティックの一つでタイとか売ってたよね。で、車種の話しに戻ると他には「Porsche Carrera派」、オペラ同様ドイツ派とイタリア派の戦いになるけど「Ferrari Dino派」とかに分かれてた。で、僕は何だったかというと何と言ってもFirst Generationの「BMW 635CSi」!。当時の感覚だと美し過ぎる流線形であれ格好良かったよね。首都高とかで走ってるの見かけるとどんな人が乗ってんだろう?って。当時は635CSi乗れなかったら代わりにFiatのMidship「X1/9」、しかも黄緑(49th Junko Shimadaボディコン(笑)の蛍光カマキリ色みたいなやつ)でもいいな~みたいなバブルっぽい夢見る時代だった。ちなみにCSiの「i」ってInjection(Fuel Injection)なんだよね。CSはスポーツクーペだけど、「i」は「俺はキャブレターじゃないぞ」ってことだから時代を物語ってるよね。キャブレターの車ってChokeボタンが付いてて、たまに引っ張ったまま走って冗談で「Auto Drive」とかにしたりね。昔のドイツ車って別格だったけど、最近はドイツの産業ポリシーのせいでなんか元気ないよね。

実は米国も1973年のオイルショック前はスピード制限はInterstateでも完全に州の管轄で、州によるけどスピード制限はなかったり、単に「Reasonable and Prudent」基準だったところも多い。建国のSpiritが残っている感じでいいね。ところがオイルショックを受けて1974年に連邦レベルで初の「National Maximum Speed Law (55 mph)」 が可決。もちろん連邦法なんでFederalism的に法的管轄権があるのは主にInterstate Highway(Route 66みたいな旧道含む)。スピード制限っていうと安全対策っていうイメージが強いけど、National Maximum Speed Lawは燃料節約のための法律。この法律導入・撤廃(後述)前後等で安全性に関する明確はトレンドは認知できなかったっていう話し。導入当初から多くの州で不評で取り締まり度合いはまちまちだったっていう話し。その後、1987年には市街地を除き65 mphに制限が緩和され、1995年には連邦法は撤廃され、再び米国のあるべき姿、すなわち連邦ではなく各州が制限スピードを決めることができるようになって今に至る。結果、州によって80 mphなんて区間もあるけど、残念なことに(?)スピード違反のチケットからの歳入がバカにならないってことでスピード制限のない区間はないらしい。スピード出したいっていうよりも、ガラガラのInterstateで対向車線との間にある藪で覆われてて遠くからは見えない空き地みたいなところで(住んでる人なら分かるね!)ネズミ捕りしてたりするポリスカー気にしながら走ったり、バックミラーでFordのTaurasとかSUV見てドキっとしたりって感じが面倒。

う~ん、ミュンヘン行きのアウトバーンの話しから何でこんな話しになってるんだっけ...。ミュンヘンと言えば最近、JDバンスの欧州の言論統制を叱責した演説が思い出されるけど、その話しはなかなかDeepで米国もElon MuskがTwitter(X)を$44Bで買収しなかったらどうなってしまったんだろうとか、他人事じゃないけどね。すなわち民主主義っていうのは、少なくとも米国では一般市民(We the People)の意思が反映されるはずの制度だったんだけど、グローバルエリートの民主主義の定義はクリントン・ブレアの頃からチョッと違ってきて、ダメ押しは2016年の第一次トランプ政権誕生やBrexitで、一般Peopleは教養がないから自由に議論したりそれらの者が選挙でリーダーを選んだりするとグローバル「リーダー」たちが思う理想の姿と異なる世界になり兼ねない、っていうRedefineされた感じの民主主義アプローチ。従来の民主主義は一般Peopleが決めるんでその定義からPopulismだと思うんだけど、グローバルエリートやレガシーメディアがPopulismって使う際は何か少し知的レベルが低いっていうニュアンスになったり、Far-Rightってどんな過激な思想なのかなって思って聞いてみると一般Peopleが自分の身近な生活、すなわち自国の政策を闊達な議論・選挙を通じて決めていきたいって考えてる姿だったりする。この手のトレンドは大きな流れとしては振り子だから、グローバル主義から今は逆にPopulismに振り戻し傾向がところどころで見られる。Global Tax Dealなんかもこういうメガトレンド的に観察すると単なる税法っていうGeekyな世界以上のものがあるね。

で、皇帝はドイツ語派だったかもしれないけど、Joint Sessionスピーチに先立つ3月1日にトランプは大統領令で「英語」を米国の国語に指定してる。米国に今まで国語がなかったっていう方が意外な感はあるけど、連邦はさておいて州レベルでは多くの州で英語が公用語に指定されている。連邦レベルでは明確な規則は存在しなかったみたいだけど、スパニッシュや中国語の併記があることはあっても、実際には税法を含む連邦法とか全部英語だから実態としては国語同然だったように思うけどね。

Joint Sessionのスピーチに戻るけど、税制に関してはTCJAの恒久化とチップや残業代非課税に簡単に触れるだけ。ただ、その際、トランプの後ろに座ってた下院議長Mike Johnsonの方に振り向きプレッシャーを掛けるのは忘れなかった。で、相変わらず「関税」は素晴らしいって言ってた。

なぜ関税?

この関税、選挙で争点のひとつだったインフレとかの観点から考えたらあんまりMake Senseしない。おかげで株式市場も乱高下だけど、トランプの周りに居るScott Bessent、先日承認された商務長官Howard LutnickやUSTRのJamieson Greer、DOGEのElon Muskを含む取り巻きは相当なやり手揃いだから何かの考えがあってのはず。それが何なんだろうってしばらく考えてた時に、2023年にJDバンスが Senate Banking CommitteeでFRB ChairmanのPowellとやり取りした際の話しがフラッシュバックしてきて、う~ん、もしかしたら・・・短期的な損得は別として米国の将来を本気で考えてるのかもねって思うようになった。

JD Vanceって以前、VP候補に任命された頃は個人的になぜ?って思ったっていう話しは当時のポスティングに書いたけど、それは僕の感覚の鈍さおよび従来からの(RINOとまでは言わないけど)どちらかっていうと旧来のEstablishmentの共和党の姿が頭から離れてなかったからだ。その後、Tim Walzとの討論会や多くの演説、Podcastとかを通じてArticulateでImpressiveな人物だっていう認識に至ると同時に党名は同じ共和党とは言え、今では全く別の基盤で成り立ってる党だっていう点を再認識してようやくJD Vanceの位置づけが分かってきた気がする。この人選は今後の米国に与える影響は少なくなかったかも。

そんなJD Vanceが上述の2023年の Senate Banking CommitteeでPowellに対して発言した内容骨子は、米国はUSDがReserve Currencyっていう俗にいう「Exorbitant Privilege」に長年胡坐をかいてるうちにとんでもないことになり、今となってはIrreversibleに近い不味い状況に陥っているというもの。この状態は「Resource Curse」。すなわち例えばサウジとかが石油が出るんでそれがバレル90ドルとかで売れるんだったら他の産業は不要も同然なんで、そのために他の産業が育成される土壌がなくなる(そんなことではだめって言うことで壮大なVision 2030で「Neom」プロジェクトとかの企画に至ってる)。

米国はこれの通貨版。Reserve Currencyなんでどれだけ財政赤字になっても直近には問題なく、金融業やワシントンがぼろ儲けできるんで、産業空洞化が進み製造業や一般PeopleのWorking Classはその犠牲になってる状況。もちろんハイテクとかサービス業とかは強いんで単に金融だけって訳じゃないけど多くの製造業は米国外に行ってしまった。USDのReserve Currency Statusが傾いたら石油が出なくなった産油国みたいで米国は終わり。長年こんな状況が続いた結果、ウクライナに援助するものも含め武器の資材の多くは中国頼み、しかも国家財政は大赤字だから中国から資材を買うために中国から借金(国債)という超間抜けかつ脆弱な構造になってしまったというもの。JD Vanceの自伝 Hillbilly Elegyを読むと極貧の中、米国中西部の製造業が衰退し、Everyday Peopleが取り残されていく姿を目の当たりにした実体験があることがよく分かる。こんなトレンドをリバースするには関税と国内減税を組み合わせて企業の行動規範を変える必要があるけど、短期的な視野では難しいんで通常の政府や政治家では手を付け難い。そこでトランプ2.0のMAGAがAll-Inでこれを実行するっていう勢いなんじゃないだろうか。Elon MuskのDOGEによる明日はないかのような連邦政府の縮小・削減(歳出削減)も米国がSurviveする最後のチャンスっていう覚悟がある感じがする。先日Scott Bessentは「(海外の低賃金を利用した輸入に頼って)安価な商品にアクセスがあることは必ずしもアメリカンドリームではない」と言ってたし、トランプも第一期と異なり株価や直近の景気を最大限化することに対するフォーカスは低く、本当にMake America Great Againを目指してるのかな~って思うことがある。でも関税は課すぞって言っては撤回したり、その辺はこの手のマクロのテーマとどう関連しているのか個人的には不可解に映る。

っていうことで次回はSection 899法案の続きに戻りたい。