Saturday, June 23, 2018

最高裁判例「オンラインショッピングと売上税」(2)

前回のポスティングで最高裁判所の判決「South Dakota v. Wayfair」に関して書き始めたけど、例によって米国の法律は複雑で、思ったより長くなってしまい、今回はその後半。

前回のポスティングで「Nexus」の話しに触れたけど、これは州による法的管轄権の行使可否を判断する基準のことで、連邦憲法のDue Process条項とかを拠り所に判断され、税金だけではなく、広範な法律適用時に重大な検討事項となる。例えば、民事裁判をどこの州で起こすことができるか、とか。自分に有利な思想の判事が多数を占めている特定の管轄区の裁判所に提訴したくても、被告人がその管轄区に何の関係も持たない場合、どこまでそれが認められるのか、というような問題。逆にこのようなForum Shoppingは裁判の戦略策定時の大きなポイントなんだけど。Civil ProcedureのPersonal JurisdictionとかSubject Matter Jurisdictionの問題で、米国でLaw School行ったり、Bar Exam受けたことある人にとっては、Evidenceと並んで気持ちが暗くなる科目のひとつだったんでは?Nexusがあるかどうかの検討は、州の法人税に関しても頻繁に行われるけど、同じ「Nexus」という用語を使っていても、その判断基準は売上税に対するケースと同じではない。

売上税に関して、今回の判決が出るまでは、販売者による売上税徴収義務は州内に「物理的な存在」を持つ納税者に対してのみ行使できる、というものだった。これは最高裁判所による1992年のランドマークケース「Quill Corp. v. North Dakota」の判例に基づく。今回その判例を覆したことになるけど、前回のポスティングの冒頭で触れた通り、先例拘束力の原則に基づく米国ではかなりの英断。ちなみに自分より上位にある裁判所による判例を覆すことは認められないので、最高裁判所の判例を覆すことができるのは最高裁判所自らのみということになる。

最高裁判所が下すケースの数と照らし合わせて見ると、Stare Decisisを踏襲せずに自らのケースを覆した件数は極めて少ない。大概、今回のケースのように元々の判断からかなりの年月が経過し、社会的な背景、状況が変わったことを受けての苦渋の判断というようなものが多い。米国は「法の支配」の国なので、判例は基本的に変わらないようにしないと法律そのものの信憑性が低下してしまう中での難しい判断だろう。

例えば、1905年に最高裁判所が下した「Lochnerケース」。パン焼きの職人さんの週当たりの労働時間を60時間までと制限したNY州労働法に対して、契約の自由、雇用の自由を侵害しているとして憲法違反とした判例だ。この最高裁判所の判例は、その後の州政府による労働法制定時の裁量を大きく制限する。例えば、1923年には、女性に対する最低賃金を保障したDCの労働法もLochnerケースを踏襲して違憲判断が下されている。

この二つの判例の法的な趣旨は全く同じ。すなわち、州が個人の労働契約に口を出すのは、雇う側、雇われる側双方に連邦憲法上保障されている自由を奪うというものだ。でも、その適用対象次第で受ける印象はチョッと異なる気がする。パン焼き職人の労働時間を制限してはいけません、と言われると、なるほど、パンを焼くのが3度の食事より好きな人に60時間超えてパンを焼いてはいけません、なんてことは国とか州に口出しされる筋合いはないよね、って思えるかもしれないけど、女性に最低賃金を規定してはいけません、って言われると、なんとなく「そうなの?」って感じの反応じゃないだろうか。

まあ、ともかく時は流れて1937年。ホテル勤務のメードさんが提訴して何と最高裁判所まで行った「West Coast Hotel v. Parrish」ケース。最高裁判所はLochner判決を覆し、最低賃金を保障するワシントン州労働法を容認している。「契約の自由は絶対的なものではなく、労働者の健康や安全を保障する目的の州法は憲法違反ではない」という趣旨に時代の流れと共に移り変わっていった。最高裁判所は上告されてくるケースの極一部を自らの裁量で取り上げるかどうか決めることが出来る点は以前も触れたけど、判例を覆す必要性を感じ始めると、それを実行する、または過去の判例を引き続き踏襲するのであればその今日における正当性を表明するのに適切なケースを選択することとなり、West Coast Hotelにしても今回のWayfairにしても、最高裁判所がこれらのケースを取り上げているのはもちろん偶然ではない。

で、今回の、「South Dakota v. Wayfair」で「Quill Corp. v. North Dakota」判例を覆すに至った背景にはもちろん経済、商取引、テクノロジーの在り方が1992年と今では全く異なるという事実関係がある。1992年当時の争点はメールオーダー等、限られた取引に関するものだ。1992年と言えばGoogleが設立される6年前。Michael Lewis (「Liar’s PokerやBig Shortの著者」)による「The New New Thing」でも取り上げられたJim Clarkのモザイク(Netscape)だって登場したのは1994年頃だ。この頃、アマゾンもオンラインの本屋として登場している。

グロサリーショッピングのオンラインデリバリーの「はしり」と言えば、何と言ってもWebvan。そう言えばあってよね!って思い出してくれる方も米国、特に西海岸辺りには結構いるんじゃないかと思うけど、1996年に設立され、時間指定のデリバリー、スーパーにあるような多くの品揃え、というチョッと考えただけで巨額の設備投資が必要となるビジネスモデルだった。カリフォルニアではニッチ的にチョッと流行っていて実際に利用したこともあるけど、時代の先を行き過ぎていた観は否めず、10都市限定とは言え、需要が投資に追いつかない状況で2001年には更生法適用となった。実はこのWebvan、実は何と現在のAmazonFreshに受け継がれている。AmazonFreshの経営陣にはWebvan出身者が複数いるし、テクノロジー、ビジネスモデルもWebvanから取り込んだものも多い。さらにWebvan.Comというドメインは現在ではアマゾンが所有しているそうだ。

このようにWebvan自体は巨額の資金を吸い上げた挙句に結局倒産しているが、VentureとかIPOというリスクマネーをインフラに投資した訳だから、国の借金が残ったり納税者のお金を使うことなくインフラやノウハウはその後に残る訳で、この頃のDot.Comバブル時代の大胆な投資はなんだかんだその後のハイテク産業成長の基礎を築いているような気がする。

という訳で、1992年にはオンラインショッピングという概念すら存在しなかったことがDot.Com系の沿革を時間軸で追うと良く分かる。今日では、電子商取引が定着し、最高裁判所自らが「Quillは適切な判断ではなく過ちであったと言える」とまで言っている。でも、当時はまさか、全ての日常品をAmazon Primeとかで2日間待てば郵送料ナシで自宅までデリバーされるような時代が来るとはさすがの賢者揃いの最高裁判所判事も含めて誰も予見できなかった訳で、Quillの判決は当時としては合理的で仕方がないこと。今から見れば「不適切」な判断と映るかもしれないけど、歴史上の出来事全て、後から今日のスタンダードで判断するのは良くない。

実務的にコンプライアンスできるのかという現実的な側面から見ると、テクノロジー進化が大きな役割を果たしていると言えるだろう。前回触れた通り、売上税は州、郡により税率、対象品目、免除規定がまちまちで、当然ペーパーワークも異なる。そんなのをマニュアルで処理しないといけないとなると、余りの負荷でやはりDue Process的に問題となる。今回のSouth Dakota州の法律が違憲とならなかった一つの要因にコンプライアンスを容易にしてくれていたことが挙げられる。

例えば、South Dakota州で限られた回数の取引とか少額の取引にしか従事していない販売主に対しては免除制度が規定されていたり、徴収義務は今後の取引のみで過去訴求しないとか、州外販売主側の事務負担軽減の目的で、州側が無償でソフトウェアを供給したり、更に、複数の州が加盟している「The Streamlined Sales Tax Project (SSTP)」にSouth Dakota州が参加して、できるだけ標準的なプロセスとなるよう尽力している。

したがって、今回の判例に基づいて、州外の販売主に対して売上税の徴収を規定する州法が憲法のテストを通過するには、州間通商に過度の負担を強いず、公正な規定内容とすることが前提となる。

今後の展開としては、各州が、最高裁判所がOKとした基準に基づいて、州外販売主に対する売上税徴収義務を規定したり、従来の憲法の制約内で限界に挑んでいた法律を既に制定しているところは、最高裁判所の見解と照らし合わせて、合憲となる可能性の高いものに微調整していく必要があるあるだろう。もうひとつ、以前から期待されている流れに、連邦議会が何らかの法律を制定するというものがある。連邦は憲法上、通商条項に基づき「Inter-State Commerce」にかかわる法律を制定することができる。したがって、連邦が制定した法律はPreemptive的に州法よりも上位に属することになる。例えば、法人税のNexusを各州が規定しているけど、一定の活動に関しては連邦法がオーバーライドする形で法人税の課税を制限しているようなもの(PL86-272)があるけど、このような形で何らかの連邦法により一定の基準設定が好ましいという声も多い。

電子取引を含む経済のあり方そのものが大きく変わっていく中、今回の判決は時間の問題だっただろう。昔は物理来な存在をもってNexusを判断していたが、電子取引の世界では、物理的な存在は重要なファクターでないことも多く、経済的な結び付き、すなわち「Economic Nexus」の台頭となる。法人税の世界でも、BEPSとかで苦労して、新しい経済の在り方に対応しないといけない直接税は余り時代にあっていないとも言え、長期トレンドとしてはVATのようなDestination Baseの課税にシフトしていくんだろう。

Destination BaseというとBlue PrintのBorder Adjustmentを盛り込んだDBCFTが懐かしい。先日、上院財政委員会のTax Counselの方と直接話しをするという好機に恵まれたけど、実は水面下ではDBCFTの法文ドラフトが完成していたようで、100ページ(と言っていたかどうか忘れたけど)とか、膨大かつ複雑な規定だったようだ。「BEATなんて数ページの規定なんだから有難く思うように」みたいなお説教もしてもらったけど、DBCFTは概念的に実にシンプルだったので、そこまで複雑にしないと法律にならないという点は意外だった。今となっては闇に封印されている法案だけど、Information Freedom Actとか使って見れるものなら見てみたいものだ。

ちなみに今回の最高裁判所の判決も例によって5-4で決定されているけど、その構成は興味深い。同じ5-4でも保守系とリベラル系がきれいにイデオロギー的に分かれていないからだ。元々レーガン大統領に任命された、したがって本来保守派に属するはずだけど実際には現在では退官したオコナーと並んでSwing Voteとなることが多いケネディーが判決の主文をデリバーしてる。それに賛同している判事にはアリート、ゴーサッチ、トーマスという保守派と並び、リベラルなギンズバーグが含まれる。逆に反対少数意見にはブライヤー、キーガン、ソトマイヨールというリベラルの牙城に加え、保守で長官のロバーツで構成されている。ロバーツの考えは最高裁が口を出す話しではなく、連邦議会が適切な規定を制定するべき、というもの。米国の法律は面白い。

という訳で柄にもなく州税、それも外形課税の話しでチョッと疲れたけど、次回こそは税制改正の国際課税。

最高裁判例「オンラインショッピングと売上税」(1)

本来、税制改正の国際課税にフォーカスしたいところなんだけど、トピックが余りに広範かつ面白すぎて、どこからキックオフしていいかチョッと途方に暮れかけたところ、2018年6月21日に連邦最高裁判所が、オンラインショッピングとかの州外販売者に対して州売上税の徴収権拡大を容認する旨の判決を下した。しかも、最高裁判所自らが過去の最高裁判所の判例を覆すという、Stare Decisis、すなわち先例拘束力の原則をベースとする判例法の米国において、異例の判断となった点で、今回の判決はかなりBig Dealと言える。という訳で、柄にもなく(?)、急遽、売上税を扱っている当判決に触れてみたい。

トランプ政権、というかトランプ大統領個人が、アマゾン、特に創業者のJeff Bezosを目の敵にしていて、アマゾンは売上税も払わずに米国の郵便システムを自社の物流システム同然に低料金でこき使って、荒稼ぎしている、というようなコメントをTwitterとかで繰り返しているのは周知の事実だけど、となるとトランプ政権にも白星的な判決かも。

ちなみに、確かにその昔は、近所のB&NとかBordersみたいな本当の(?)本屋さん(スタバとか併設されていて憩いの場として懐かしいね!)で本を買うと売上税を支払わないといけないのに、まだ怪しいスタートアップ(?)みたいな存在だったアマゾンで同じ本を買うと売上税を支払わなくてよかった時代もあった。でも、それは今は昔。現在ではアマゾンは全米を網羅する物流ハブを有していることもあり、アマゾンで買い物すると少なくとも州レベルの売上税は徴収されているように思う。アマゾンを利用している第三者のベンダーは未だに徴収していないケースもあるかもしれないけど。トランプ大統領のアマゾンやJeff Bezosに対する批判的なコメントは、売上税の話しではなく、どちらかと言うとJeff BezosがThe Washington Postっていう米国で影響力が大きい新聞社を所有してるけど、このThe Washington Postが大統領に批判的な社説を記載することが多い、ってことに起因していると見るべき。アマゾンのビジネスモデルにケチを付けているのは「八つ当たり」的な側面が強い。

で、今回の判例だけど、「South Dakota v. Wayfair」っていうケースで、South Dakota州内に物理的な存在を持たない州外の販売主が、オンライン等を通じてSouth Dakota州内の顧客に物販等を行う場合、South Dakota州の売上税を徴収しなさいって言う州法を容認する判断となった。

「そんなの当然じゃん」って思うかもしれないけど、事は法的にも実務的にもそこまで簡単な話しではない。まずはその辺りの背景に関して少し。

今回の判決の争点を再度整理すると、州内に何の存在も持たない「州外」の販売者に対して、州が「州法」で販売者による売上税の「徴収義務」を強制することができるか、っていう点。結果はイエスだったんだけど、逆に今回の判例が出るまでは、そのような法律は連邦憲法違反とされていた。ここで判例を理解する際に必要となるいくつかポイントだけど、まず、米国の売上税は州法だということ。米国には連邦ベースの売上税、VAT、消費税は存在しない。連邦法であれば、どこの州の販売業者であろうが一網打尽に対象となるけど、州法なので、今回のような問題が起こり得る。

さらに州の売上税は、有形資産(最近はこの解釈が拡大傾向)の「最終消費者に対する小売段階」で販売主が徴収するメカニズムになっていて、サプライチェーンの各ステップで付加価値に課税するVATとは異なる。州の法律なので、州によって売上税の対象、税率はまちまちで、同じ州内でも群が異なると税率が微妙に違ったり、さらにFlorida州とかNevada州(ベガス!)を含む7州ではそもそも売上税自体が存在しない。納税者が何らかの拠点を持つ州や郡で売上税を徴収するのは仕方がないし、元々やらないといけないとなっていたけど、縁もゆかりもない遠方からたまたまオーダーが入ったりして、その都度、そこの州や郡の仕組みを調べて売上税徴収の対応をさせられるのは実務上かなりのチャレンジとなる。それで、従来の判例が合理的な判断となっていた訳で、今までも例えば、South Dakota州に登記している法人とか、South Dakota州に店舗、倉庫、その他の物理的な施設を持っている販売主に対して州が売上税の徴収義務を課すことには何の問題もなかった。

これは米国の州の法的管轄権にかかわるDue Process的な問題だけど、敢えてザックリ言うと、州が何者かに対して州法を行使するには、対象となる者とその州の間に「何らかの関係」が存在しないといけない。国家主権に置き換えるとより分かり易いと思うけど、日本の法律が米国に住んでいる米国市民に適用できないのと似た話し。で、どこまでの活動や存在があれば、州に法的な管轄権が生まれるのかという点が争点となるけど、法的管轄権が生まれる「Minimum Contact(最低ライン)」を「Nexus」と言う。州の法人税でも、「そんなことするとCA州にNexusができちゃう」とか使うけど、まさしく、それも広義のNexusの具体的な適用法のひとつで、憲法上、それがないと州側に課税権が認められないことになる。同じNexusという用語でも適用対象となる法律により、考え方が異なり、今回の判決はあくまでも売上税にかかわるNexusの話しで、法人税のNexusには直接的に影響があるものではない。

州としては、当然、自州の法律を最大限に行使したい訳だけど、その歯止めをするのが連邦憲法のDue Processを中心とする条項。州が際どい法律を制定し、その被害(?)にあった者が訴訟を起こし、重要なケースだとそれが何年か掛けて最高裁判所にまで行き、運が良ければ最高裁判所がケースを取り上げ、判断が下されるという仕組み。その昔、CA州のWorldwide Unitary課税が違憲ではないかとバークレー銀行が訴えを起こしていたけど、1994年の「BARCLAYS BANK PLC v. FRANCHISE TAX BOARD OF CALIFORNIA」にて最高裁判所が合憲判断を下している。Worldwide Unitaryにかかわる背景を知るには「Must Read」な読み物だ。

更に、今回の判決はあくまでも売上税の州外「販売主」側の「徴収」義務にかかわるもので、販売そのものが最終的に売上税またはそれに見合う税金の対象となるかどうか、という税負担の話しとはチョッと異なる(ある意味、税制改正の国際課税におけるSection 864(c)(8)とSection 1446(f)のような関係)。米国の売上税は、有形資産の最終消費者に対する小売段階で販売主が徴収するメカニズムになっているけど、従来は、州側が州外販売者に売上税徴収権を行使できない場合、消費者側が自ら売上税同額を使用税として州に自主納付するシステムとなっていた。

つまり、オンラインショッピングとかオークションサイトで、個人を含む遠方の販売主から何か物を購入し、消費者が居住する州の売上税が徴収されていない場合には、買った側が売上税相当額を計算して、それを「使用税」という名前で州に自ら納付に行かないといけない。そんな義務があることを知らない一般市民も多いだろうし、企業と消費者間取引(BtoC)とか消費者間取引(CtoC)に基づく販売に関して、消費者がそんな使用税を納付しているケースは皆無に近かっただろう。

近年では州「個人所得税」の申告書に「オンラインショッピングとかで売上税が徴収されていない購入があったんじゃないですか?」みたいな質問が追加されていたり、州によってはご丁寧に「あなたの家族状況、収入レベルですと、大概、これくらいのオンラインショッピングがあったと推定されるので、使用税がこれ位発生します」という既定値まで表示して、それがイヤなら、自分の計算に基づく使用税を表示するように仕向けたり、といろいろと苦労していた。感覚的には、大多数の納税者が、既定値には「No thank you」となり、自分で計算してみたらゼロでした(苦笑)って申告していたんじゃないだろうか。唯一、使用税とか本当に支払ったり、州税務当局が本気で調査対象としてたのは、BtoB的な局面で、法人とか事業主が「最終消費者」となる設備とかを外国を含む州外から購入している際とかだろう。

さらに州側もいろいろと考えて、最高裁判所の判断に逆らうことなく、オンラインショッピングの州外販売主に売上税の徴収義務を課す理論構築をして、限界を試してきた。例えば俗にアマゾン・タックスとか言われてた近年の州の限界挑戦系の法律の中には、アマゾン等から報酬を受け取るAffiliateが州内に存在してる場合には、それをもってアマゾンのようなベンダーが物理的な存在を州内に有していると認定して、売上税徴収義務を課すと言うような類のものが含まれていた。Affiliateが州内にいるのかどうかの特定とか困難だろうし、歳入面で実務的にどれだけ有効だったのかは不明。

そんな実態だったんで、財政の厳しい各州にとって、州外販売主に対する売上税徴収強制権の行使は長年の悲願とも言え、今回の最高裁判所の判断はその動向が注視されていた。

なんか、チラッと売上税の判決を書いて終わらせるはずが、またしても期せずして長くなってきたので、一旦この辺にしておいて、次回、Nexus、最高裁判所が自ら過去の判例を覆した意味、そして判例を受けて今後どうなるのか、っていう点を簡単に整理してこの話は終らせたい。