Monday, July 30, 2012

スコティッシュパワー判例から学ぶ過少資本税制対策(1)

IRSは近年、過少資本の取り締まりにかなり注力している。米国の法人税率が世界一となる中、過少資本は無形資産の海外移転と並んで米国財務省が神経を尖らせている分野となる。逆に、多国籍企業が力を入れている分野と言い換えることもできる。米国における過小資本税制は後述するように判断基準が機械的でなく、また財務省規則も最終化できなかったという混沌とした歴史を持つ。

*タックスプラニングと過少資本税制

世界各国はもちろん各々異なる税率を規定していることから、多国籍企業はトータルで同額儲けるのであれば、その所得のできるだけ多くの比率を低税率国で実現したいと願うのは言うまでもない。

米国が高税率を規定しているため、米国多国籍企業は本国の課税所得を合法的に圧縮しようと長年努めてきている。その成果は米国多国籍企業歴代の決算書を紐解いていくと簡単に見て取ることができる。すなわち40%近い法定税率(州税を含む)で、かつ未だに全世界課税システムを持つ米国を頂点とする企業群のものとは思えない低い実効税率で決算書上の実効税率が終焉しているのに驚かされるだろう。

米国外からの米国投資ストラクチャーも、多くの国(日本以外全て?)の多国籍企業は基本的に米国ではビジネスで儲けた上、課税所得は何とかして圧縮するということを念頭に構築されている。日本企業に関して言うと、未だにこの点に関して工夫されているケースは少ない。製薬等の一部の限られた業界で若干先進的な動きが見られるが、一般的には、日本で海外子会社からの配当が非課税という恵まれた環境にあるにも係らず、グローバル・タックス・プラニングの世界では他国に大きく遅れを取っているのが現状だ。

*米国投資と借入金

ビジネスで儲けた後、米国の課税ベースを最低限とする、すなわち侵食する方法はいくつもあるが、代表的なストラクチャーに価値のある無形資産をできるだけ米国外におくことで、余計な利益が米国に還流してこないようにすると同時に多くの所得が低税率国に落ちるようにするというクラシックな手法がある。米国大手企業はハイテク、製薬ばかりでなく価値のある無形資産を持っているところでは既にやり尽くしている観のあるプラニングだ。

最近、新聞などでGoogle、GE、Appleが実践しているプラニング手法が取り上げられてお茶の間の購読者の注意を引いたかもしれないが、同様のプラニングはもう何十年も「全ての」米国多国籍企業が実践していると言っても過言ではなく、その意味で今更会社名を挙げられた企業も若干当惑気味であったであろう。Appleに至っては低税率国に眠る所得に対して敢えて多めの繰延税金負債(配当したとしたら米国で支払うことになるであろう税負債)を認識することで本当の実力よりも「高い」実効税率を演出しているという内容の報道を見たことがある。この辺りはイメージ戦略的な部分だと思われるが、確かにOccupy Wall Street系の若者の中にはApple製品をこよなく愛している者が少なくないと推測されることから、実効税率を巡る企業イメージは我々が思うよりも事業戦略として重要なのかもしれない。それにしても実力より高い実効税率を表示するなんてタックスプラニングでも余裕が感じられ羨ましい。

米国政府もこの無形資産の海外への移管に関する問題はもちろん承知していて、Excess ProfitsのSubpart F化その他の対抗策が検討されている。最終的には机上の空論でしかないと非難の多い(?)Arm's-Length基準を撤廃する位の勢いで移転価格税制を大改革しない限り問題の解決はないとまで言われており、米国財務省にとっての鬼門と言える。

無形資産と並ぶもうひとつ代業的なプラニングとして、米国オペレーションをできる限り借入金でファイナンスし、支払利息で課税所得を圧縮するという手段がある。米国多国籍企業が(大手会計事務所の国際税務部門が?)徹底的に研究してきた手法だ。もともと外国企業が米国に投資する際に実行し易いプラニングだが、驚いたことに(というか、当然予想されるように、と言うべきか)このプラニングを最もアグレッシブに利用しているのは「元」米国企業で現在では外国企業に変身してしまった「Inverted」法人だという調査結果が出ている。米国企業から外国企業に変身して、米国外所得の課税を大幅に低減した上、さらに米国事業から発生する所得ベースも圧縮してしまうという双方からのアプローチはただ「さすが」と言うしかない。

ここで当たり前のポイントだが、利息を高税率国に支払っては元も子もない。貸し手は低税率国にある関連会社となる。

この点、世界1~2位の税率を米国と争う立場にある日本という国に究極の親会社がある日本の多国籍企業は若干プラニング上のオプションが少ない。すなわち、日本から米国に貸付して、米国から利息を吸い取ったところで、日本で利子所得が課税されるので米国への節税効果を帳消し(場合によっては源泉税分持ち出し)なんてことになりかねないからだ。

そこで元々は日本で資金を借り入れ、低税率国の関連会社に日本から資本注入して、さらに低税率国から米国へのファイナンスしたり、さらにそのファイナンスをハイブリッドにしたりすることができれば、一つのファイナンスから二重、三重の税ベネフィットを得ることが可能となる。

実際のストラクチャー構築時には租税条約(特にLOB条項)、日本でのCFC課税等、慎重な検討が必要だ。また米国サイドで支払利息の損金算入に問題がないかどうかの検討も当然必要となる。この点に関しては大きく分けるとアーニングス・ストリッピング規定と過小資本税制の二つの検討が主となる。アーニングス・ストリッピングに関しては2007年11月の「Earnings Stripping Ruleの今後」というポスティングで触れているで詳しくはそちらを参照して欲しい。

今回のポスティングのテーマは過少資本税制となる。前置きが長くなったが次回のポスティングから実際に最近言い渡されたScottishPowerケースの判例を交えて米国の過小資本税制に関して書いてみようと思う。

Sunday, July 8, 2012

オバマケアは税法だった?(2)

前回のポスティングでは、6月28日に米国最高裁判所がオバマ政権のシグニチャー的な法律である「オバマケア」は合憲であるという歴史的な判決を下した点に関してその背景に触れた。今回は判決内容そのものに話しを移したい。

*今回の判決

前回のポスティングでも触れた通り、オバマケアの「国民全員に医療保険加入するよう」義務付けた部分(でないとペナルティーが課せられる)は「税法」と位置づけられ、したがって連邦政府の権限内であるという理由で合憲の判断が下された。また、勝敗を分けたのは浮動票で常にキャスティングボートを握るKennedyではなく、保守派守護神その人である主席判事のRobertsだった点も驚きだった。

なぜ保守派守護神のRobertsは裏切った(?)のか。これはRobertsの卓越したバランス感覚と知性の結果としか言いようがない。法律に携わる者にとって、最高の名誉・栄誉は最高裁判事となることだろう。一流法律事務所のトップパートナーになれば何倍もの報酬を得ることができるかもしれないが最高裁判事という名誉はお金では計れない。国中でトップのトップの弁護士から無期限の任期で選ばれる9人。その中でも主席判事は法曹界の頂点だ。Robertsももちろん超優秀な経歴をバックに主席判事として君臨しているが(ハーバードロースクールではLaw ReviewのManaging Editor!)、今回の彼の判断はRobertsを名判事として歴史にその名を残させることになるだろうというコメントが多い。来年以降のLaw Schoolの憲法論(Con Law…、Law Schoolに通った方ならその響きだけで胃が痛くなるのでは)の教科書では、古いJohn Marshalの判決などと並んで紙面を飾ることになるだろう。

もしもオバマケアが違憲とされたなら、米国経済は大きく混乱しただろう。また最高裁判所のクレディビリティーにも少なからず影響しただろう。そこでRobertsはプラグマティックな観点から法律そのものは合憲としておきながら、一方でイデオロギー的な観点からは連邦政府の権限を限定するという離れ業で難所を切り抜けることに成功した。

合憲とした判断の根拠は冒頭でも触れた通り、国民が医療保険に加入しない場合に課せられるペナルティー部分をタックスと位置づけたことによる。立法の段階ではオバマ政権はこれはタックスではないと主張して法制化した経緯があるだけにチョッと皮肉っぽくて面白い判断といえる。

また、このタックスという位置づけには更なるオチがある。今回の法律が合憲か違憲かという判断をそもそも最高裁判所で検討する権限があるのかないのかを決定する上で、これがタックスだとしたら、税徴収のための法律を無効とする訴訟を起こしてはいけないと規定する「Anti-Injunction」法に抵触していたはずだ。もしそうだとすると、事のメリットに係りなく、今回の訴訟はそもそも裁判所で争うことすらできないという理由でその場で却下されるべきとなる。この点に関してRobertsの判決は「議会がペナルティーという命名をしているので、タックスではなくAnti-Injunction規定には抵触しない」としている。その上で事のメリットを論じる段となって「これは実質タックスである」と豹変しているのだ。名判決とは不思議なものだ。

一方でイデオロギー的な部分だが、判決の中で連邦政府が通商条項を盾に立法を行う権限にリミットを設けている点、また州に対してMedicareカバレッジを拡大しない場合にはFundingを打ち切るというような権限はSpending条項下では認められないとしている点に見られる。Liberal派は通商条項に基づく権限限定に関しては反対意見を出しているし、一方の保守派は今後の判決にこの部分の判例を最大限利用するとしている。保守派は「連邦の権限を限定的なものとし、州政府と権限を分けるという米国憲法のストラクチャーを遵守して初めて個人の自由が保障される」としている。

つまり、判決内容をまとめると、タックスに基づく法律は連邦政府が税金を徴収できる権限がある以上、合憲となる一方で、通商条項、Spending条項に基づく連邦政府の権限は限定される、となる。今回の訴訟の争点であった国民が医療保険に加入しない場合にはペナルティーが課せられるという部分がもしも通商条項に基づくものであったなら、連邦政府にはそのような規定を制定する権利はないとされている。言い換えれば、連邦政府に「個人に民間企業(医療保険会社)と取引を強制する権利などない」ということだ。

またSpending条項に関しては連邦政府の希望する方向に州政府が行動した場合に、ご褒美としてFundingを与えることは合憲だが、希望の方向に州政府が行動しない場合にFundingをストップするという懲罰を与える権限はないとし、Medicare拡大に関してのペナルティー規定部分は違憲とされ、この部分のオバマケアは無効となった。面白いことにこちらの判断はRobertsを含む保守派判事5人だけでなく、民主党指名の二人BreyerとKagenも賛同している。Bush v. Gore判決以来のパーティーラインからの決別とも取れる最高裁判所の新しい姿を示しているようにも見える。

今回の判決の本当の勝利者は誰かという点は判決後に多くの議論を呼んだ。多くの連邦法は通商条項、Spending条項に基づいて可決される傾向にあることから、この観点から連邦政府は手詰まりとなることになる。大きな政府を嫌う保守派の狙う方向である。タックスに基づく立法は議会に権限はあるにしても、ポリティクス的には不評なものとなることから実質乱発するのは難しい。今回の判決がマスターピースと言われる所以はこの判決の見た目(民主党勝利)と実体(共和党勝利)が混在する点と言える。

もちろん、保守派にしてみれば違憲判決で大勝利を収めそこなったことに関してはやり切れない思いは残るだろう。なんと言っても浮動票のKennedyは違憲判断だったのだから。まさかRobertsお前が…という思いはあるだろう。でもそこは法治国家。最高裁判所の判決は皆尊重し、Move-Onしていくしかないし、していくだろう。この辺りは以前に書いたインドのボーダフォンケースにおけるインドの状況とは対照的だ。

今回の判決を、実は将来の連邦政府の権限を今までにないレベルまで限定するように仕組まれた一種のDecoyと捉えて納得する向きもある。一方でそんな複雑な意図はなく、これほど議会で討議されて可決された大型シグニチャー法を最高裁判所がパーティーラインの5-4で葬ってしまうことは社会からの信用、裁判所の独立性からも好ましくないという現実主義に基づくものだ、という意見もある。いずれにしても奥深い、複雑な判決であることは間違いない。

これでオバマケアの法律としての地位が揺ぎ無いものとなり、2014年から米国医療保険のあり方が大きく変わる。日本的に考えると世界一の経済大国に、そもそも医療保険がない国民が沢山居ること自体信じられないし、それを実現しようとしている法律になぜここまで多くの者が反対しているかも理解し難いかもしれない。保険に入ろうが入るまいがそんなことは連邦政府に決められたくない、というのがアメリカ風個人自由主義なのかも。New Hampshire州の自動車プレートには「Live Free or Die」とあるが、自己責任のない自由はなく、自由とは時に厳しいものなんだろう。いろいろと考えさせられる判決だった。

オバマケアは税法だった?(1)

去る6月28日に米国最高裁判所はオバマ政権のシグニチャー法と言えるAffordable Care Act(俗にオバマ政権によるヘルスケア法であることから「オバマケア」として知られている法律)は合憲であるという歴史的な判決を下した。オバマケアの中でも「連邦政府にはそんな権限ない」と訴えられていた「国民全員に医療保険加入するよう」義務付けた部分(でないとペナルティーが課せられる)はナント連邦政府には「税法」を制定する権利があるという意外な理由で憲法の下で与えられた連邦政府の権限内であるという判決となった。

オバマケアの行方に関しては国民全員に医療保険加入させる部分ばかりでなく、法律全体が違憲とされ全ての条項が無効となるShow-Downを予想する前評判が多かっただけに、オバマ政権にとってはさよなら逆転満塁ホームラン級のご褒美となり、逆に保守陣営にとっては信じられない逆転負けとなった、かのように見えた。しかし実際には事はそんなに簡単ではないのが今回の判決が「Intriguing」(日本語でいい表現がみつかりませんでした)なところだ。

今回の判決はその発表数ヶ月前から大きな注目を集めており、最高裁判所が休暇に入る最終日となる6月28日は朝早くから判決結果をいち早く報道しようというメディアの熱気ムンムンであった。しかも最高裁主席判事のRobertsが、一瞬、国民全員に医療保険加入を求める部分は違憲とも取れる論調でスピーチを始めたため、多くのメディアはフライングで「オバマケア違憲判決!」という速報を流してしまった。ホワイトハウスでこの速報を見たオバマ大統領は絶句していたと言う。

僕もたまたまミーティングからの帰りでNYのタイムススクエアの事務所に戻ったところだったが、42NDの交差点にある大きなフラッシュ電光掲示板には「違憲」というニュースが煌々と流れていた。予想していたとは言えやはり衝撃は大きく「ええ~やっぱり。アメリカどうなるんだろう…」と唖然とした。EY社内でも最初のBreaking Newsは「一部違憲!」という形で全社員にメールが流れたので、多くの者が「保険業界その他、これからどう対応するんだろう・・」的な反応を示したであろう。

ところが、保守系のオーディエンスおよび4人の保守系の最高裁判事が唖然とする中、Robertsは「医療保険に加入しない者に課されるペナルティーは税金の性格を持っており、連邦政府は税金を課す権限を持つことから、法律は合憲である」と読み進めたのであった。メディアでは当初のニュースの修正作業に追われ、ホワイトハウスも一転祝勝ムードに早変わりしたそうだ。

*キャスティングボートはナント主席Roberts本人

この判決のとても興味深い点は、大方の予想を裏切って、勝敗を分けたのは浮動票で常にキャスティングボートを握るKennedyではなく、保守派守護神その人である主席のRobertsであった点だ。Liberal派4人プラスRobertsによる主判決という異例のアライアンスとなった。日本に居るとその感動は理解し難いかもしれないが、Robertsのこの判断は歴史に残るマスターピースとなると言われている。

*二つのイデオロギーと最高裁判所の構成

アメリカの政治は二大政党に基づくものだ。もちろん、独立党の動きはたまにあるし、保守派の中でもより憲法に忠実で個人の権限を最重要視するLibertarianのような思想は二大政党政治の枠外と取り扱われてもおかしくない。しかし現実には保守の共和党とLiberalの民主党の二つのイデオロギーの戦いが続いている。民主党のクリントン、共和党のロムニーは各々の政党の考え方は基本的に踏襲しながらも中道路線を行くタイプなのに対し、ブッシュ(ジュニア)というかその裏のチェイニーとかはかなり右よりの保守となる。

なにが保守で、何がそうでないのか、という点は分かり難い部分もあるが、代表的な部分で行くと、銃規制反対、中絶反対、キリスト教に近い価値観、小さな政府で低税率、というところが保守の価値観だろうか。すなわちこれの反対がLiberalとなる。もちろん、国民一人一人は「政府は小さい方がいいけど、銃は反対」とか「銃は自分の身を守るために絶対自由に持ちたいけど、政府はできるだけのことをして国民の生活を守って欲しい」とか、全ての価値観に関して一方の政党と完全に共感しているとは限らない。また小さい政府と言っても、必ずしも全て個人任せという感覚(Libertarianはこれに近い)よりも、「連邦」政府の権限は限定しておいて、後は国民により近い存在である州政府に任せるという感覚が強いような気がする。

この辺りの詳しい話しは米国憲法論になるので全て網羅できないが、米国の法律を扱う上の基本中の基本は「連邦議会・政府は限定的権限」のみを持つという点だ。すなわち、州がDefaultであり、連邦憲法で明確に規定してある事柄のみ連邦議会・政府は管轄してよいことになる。憲法に規定されていないことを連邦議会が法制化した場合、それは違憲となり無効となる。この判断をするのは裁判所の役割だ。国全体で管理せざるを得ない国防、移民等の分野はもちろん連邦に委ねられているのだが、連邦議会は他にも多くの法律を通している。連邦議会が法律を制定する上で一番便利な憲法条項に「通商条項(Commerce Clause)」というのがある。これは州間で行われる通商に関しての法律は連邦議会で法律を制定してもよろしいというもので、Due Process条項と並んで広範な法律を制定できる拠り所となっている。例えば、州の法人税計算は、自州の者だけ有利に扱ってはいけないとか、配賦計算をしないといけないとか、また 物販に係る勧誘行為のみを州内で行う者に州は課税できないとか、諸々の法律を連邦議会は通商条項下で制定することができる。しかし、言い方次第で間接的にはほぼどんな法律でも州間の通商に関係するように結び付けることができるため、通商条項は連邦議会にとって便利な条項となる。銃規制とかまでも通商条項に基づいて行おうとしたりすることになる。

連邦議会の権限が大きくなればなるほど連邦は「大きな政府」となる。これは保守派の嫌うところであり、連邦政府の権限拡大は個人の自由を制限すると受け取られる。そこで機会があれば通常条項の利用にも歯止めを掛けたいと願う。また、Roe v. Wadeで示された連邦による中絶容認(一定の期間まで)判決は、保守派から見ると本来、連邦議会・政府の出る幕でない分野に連邦が首を突っ込んでいるという見方となる。今でも大統領選挙で大きな議論となるのは、候補者がRoe v. Wade判決をどう思うかという点だ。CBSニュースのKatie Couricとのインタビューで重要な最高裁判所の判例を挙げることができなくて恥をかいた(読んでる新聞の名前を一つも挙げられなかったのもショッキングだったが)あのサラ・ペーリンでもRoe v. Wadeは知っていた。

連邦の法律が違憲かどうかは独立した司法権を持つ裁判所(究極的には最高裁判所)が下すのだが、最高裁判事を指名するのは欠員が発生した時点の大統領(議会の承認は必要)となる。したがって指名が必要となった時の大統領が共和党なのか、民主党なのかで指名される判事の持つイデオロギーは極端に異なる。現状の最高裁判所は共和党大統領に指名された保守派が5人(Roberts、Scalia、Thomas、Alito、Kennedy)と民主党大統領に指名されたLiberal派が4人(Ginsburg、Breyer、Sotomayer、Kagan)となる。ただしKennedyはレーガン大統領に指名された割にはバリバリの保守という感じではなく、彼の下す判断には強いイデオロギーは感じられない。一方、Scaliaなんかはイデオロギーの塊のような人だ。この陣容から分かる通り、今の最高裁判所は保守派有利であり、それだけに、大きな政府の象徴で個人の権限を侵すとも取れるオバマケアの違憲判決には保守派が大きく期待するところであった。判事の構成からも前評判は「おそらく違憲だろう・・・」というものであった。5人の保守派判事が民主党政権のシグニチャー法を一刀両断(!)という世紀末的なシナリオがまさに現実になろうとしていたのだ。

このように、米国の国としての方向、価値観を決める上で最高裁判事の構成は極めて重要だ。また最高裁判所ばかりでなく米国全土の裁判所にどのようなイデオロギーを持つ裁判官がいるかで国民の生活は大きな影響を受ける。大統領選挙とか州議員の選挙に比べて一般的に興味が低いと言える裁判官の信任投票は実はとても大切なプロセスだ。どのような裁判官を法廷に送り込むかという点にフォーカスして活動している団体もあるらしい。この辺りはJohn Grishamの小説「The Appeal」に生々しく描かれているので興味があれば読んでみると面白いだろう。長くなってきたので今回の判決そのものに関しては次回のポスティングで触れたい。