Wednesday, May 16, 2007

日米社会保障協定(8)

日米社会保障協定が発効した当時は「私はこういう状況ですが、将来いくら米国の公的年金がもらえるでしょうか?」といった質問が多く来て結構な盛り上がりを見せていた。

1.将来の受給額を算定しても余り意味がない?

将来年金をいくら受け取ることができるか知りたいというのは当然なリクエストでる。しかし、退職が目の前に迫っているようなケースを除いては、その試算には余り意味がないかもしれない。米国の公的年金制度も日本の制度同様に曲がり角に達していると言え、今後も同様な算定法が適用され続けるという保証はない。

2002年に発足したブッシュ政権は公的年金の一部を自己リスク負担に基づく「個人投資勘定」に移行させたいという政策を強く希望していた。2004年に大統領に再選された際には、そのような措置が将来的に現実的なものとなる可能性もあるかのように思われたが、その後イラク戦争の泥沼化で政治的な基盤が弱体化し今日では個人投資勘定の設立が語られることは少なくなっている。ただし、これも将来どのような形で再燃するかは誰にも分からない。

個人投資勘定の設立如何に係らず、受給額の算定方式そのものに大きな変更が加えられないという保証なない。年金資産が将来の支給負担に耐えうるかどうかという点も不透明だ。米国の公的年金制度も日本の制度同様に基本的に「世代間扶養」に基づく。したがって、FICAからの収入と給付額のバランスが崩れる場合には、受給額算定方式を変更せざるを得ないような状況となる可能性が高い。それでも「どうしても金額が知りたい」という場合には米国に居た期間にFICAの対象となった給与の金額が分かれば、最寄の会計事務所等で試算してもらえるはずである(費用が掛かるかも知れないが)。

2.日本の社会保険事務所でできる受給申請

協定発効前は、申請者が日本に在住する場合には、在日アメリカ大使館や領事館で申請を行う必要があった。せっかく、受給権が確定していても、米国領事館等に出向いて英語で申請を行なうとなると何となく「腰が引けていた」方も多いのではないか。協定発効後はそのような面倒な手続が必要なくなり、米国の老齢年金の受給申請を日本の最寄の社会保険事務所で受け付けてくれる。その後、社会保険事務所から日本の「加入期間証明書」がマニラに送付される。なぜマニラかと言うと、アジア地域の米国社会保障制度管轄がマニラにあるからである。その後、マニラから本人宛に書類が届きサインをして返送すれば手続き完了だそうだ。マニラから送付されてくる書類は「サイン等簡単な手続きのみ」をして返送できるものと予定されており、困難な手続とはならない見込みである。もちろん従来通り、在日アメリカ大使館や領事館で申請を行うことも可能である。

3.受給申請時に米国のSocial Security Number (SSN)を忘れてしまっている場合は?

この質問はとてもよく受ける。SSN など二度と使わないだろうと信じていた方も多いはずで無理もない。SSNは、氏名、生年月日、母親の旧姓等の基本的情報を日本の社会保険事務所に提供すれば、米国サイドを通じて確認が可能である。ただし、受給権(早くて62歳)が発生する前に忘れてしまったSSNを確認したい場合には、日本の社会保険事務所を経由しての調査を行なうことはできず(社会保険事務所はあくまでも受給手続きを援助するという立場にあるため)、そのようなケースでは従来の手続通り、在日アメリカ大使館や領事館で調査してもらうしかない。ただ、受給権が確定していない段階ではそもそもSSNが必要である局面も少ないように思える。

4.過去に米国で40 Quartersのクレジットがあり、協定を利用しないでも米国の老齢年金の受給権を持つような場合でも日本の社会保険事務所で申請を行なうことはできるか?

上述の通り、協定発効前は、日本に在住する方は、在日アメリカ大使館や領事館で申請を行っていた。協定発効後は、例え「40 Quarters」に達している申請者に関しても社会保険事務所での受給申請が可能となる。ただし、社会保険事務所から申請した場合は、「40 Quarters」以上ある方に関しては本来不要であるにも関わらず、「40 Quarters」未満の方と同様の事務処理となるため、在日アメリカ大使館や領事館から申請するよりも、手続きに時間が掛かることがありそうだ。このため、受給を急いでいるようなケースには余り推奨できない。

5.受給と日本企業の対応

協定の交渉が報道され始めた当初、多くの日本企業が米国から受け取る年金を「何とか会社に取り戻せないものか」と考えていた。これは、ネット保障を原則とする日本企業の給与体系下では、FICAを実質雇用者が全額負担していたことになることから当然の発想であったと思われる。

しかし、協定の発効されてしばらくの月日が経つが、多くの日本企業の最終的なスタンスは「米国からの年金は個人にそのまま渡すが、その代わりに受給手続きに係わるサポートは会社としては提供しない」というものであるようだ。

このようなスタンスに行き着いた理由はいくつか考えられるが、まず、年金を個人から取り戻すことに係わる実務的な煩雑さが大きいと思われる。老齢年金は個人に受給権があるので、年金そのものを雇用者として受け取ることができない点はもちろんである。したがって、従業員からそれを返金してもらうという手続きは私的な雇用契約に基づいて行なわれる必要があり、これは技術的には不可能ではないかもしれない。しかし、受給額が本人の申請のタイミングにより異なる、毎年金額には物価スライド調整が適用される、受給するのは本人ばかりでなく、配偶者または元配偶者を含む可能性もある、受給は生涯続くため会社を退職した後に元従業員相手に手続きを続けていかなくてはいけない、既存の雇用・退職契約内容に修正を加えなくてはいけない等、問題が山積みとなることは想像に難くない。また、生涯雇用制度が必ずしも常に適用される訳ではない今日の現状を考えると、過去の駐在者が別の会社に雇われているようなケースも想定され、一雇用者では対応しきれないという現状も考慮しなくてはいけない。

また、過去に負担したFICAはすでに費用処理されてしまったいわゆる「Sunk Cost」であることを考えると、老齢年金の回収に会社として余計な人的または金銭的なコストを掛けるよりも、今後の負担を最小限にしておくというのが合理的な判断であるようにも感じられる。特に対象となるのが従業員全員ではなく、過去にたまたま米国駐在していた一部の従業員(上述の通り2005年またはそれ以降に派遣される駐在員に関しては受給権が発生しない)のみを対象とすることから雇用者としての係わりは最小限としておきたいという判断もある。現実には、 役員OB等、社内の重鎮の方から何らかの対応を迫られるようなケースでは社内としても何らかの対応をすることとなる可能性も残るが、年金受け取りを個人に帰属させる場合、そもそも受給自体が「たなぼた」的な性格であることを考えると、受給手続きに係わるサポートは会社としては提供しない、というポリシーには合理性があるように思われる。

6.米国公的年金受給に対する米国での課税

グリーンカードを持っていない日本の居住者が米国の老齢年金を受け取る場合、租税条約に基づき米国では課税されない。ただし、米国の社会保障庁に対して、1)米国の非居住者であること、2)日本に住んでおり日米租税条約の規定の恩典を受けることができること、を告知する必要がある。この手の告知は通常はW-8BENという様式で行うこととなるが、公的年金の受給に関しては受給申請時に告知に該当する様式(SSA-21)が含まれるために別途W-8BENを提出する必要はない。