Thursday, November 14, 2019

米国過少資本税制385条規則の「Funding規定」緩和策 (4)

前回はFunding規定の概要と、Section 385に付きまとう悲劇的な過去を踏襲するかのように、規則最終化の直後に政権が規制過剰のオバマ政権から規制緩和路線のトランプ政権に変わり、Section 385の規則を常に待ち構えている「撤回」の運命がまたしても忍び寄ったところまで触れた。

時は2017年初頭。1月に発足したばかりのトランプ政権は、さっそくオバマ政権時代に制定された過剰な規制の撤回・緩和に着手していた。2017年4月に大統領令が公布され、納税者に過度の負担を強いている、三権分立の観点から行政府として越権行為に近い、と思われる規則を特定し、対策を検討するよう財務省に命じた。その結果、複数の財務省規則が悪法と特定されるが、その中の一つにSection 385の最終規則が含まれていた。

有害認定を受け、最終規則に規定されていた「文書化要件」は早期適用可の規則草案という手法でかなり迅速に「実質」撤廃されていたが、今回の「新Funding規定」の草案と同時に公表された最終規則で「正式」に撤廃となっている。Section 385のサガは続くね。

ちなみに、最終規則の文書化要件の撤廃を受けて、関連者間の借入に係わる文書化そのものが不要になったように解されるケースがあるみたいだけど、それは違う。関連者間の借入を、米国税務上も借入と認めるかEquityとみなすか、の判断は個々の事実関係に基づく判例ベースっていう点は口酸っぱく言い過ぎて、読んでる方も「we got that」みたいな気分だとは思うけど、Section 385の財務省規則の有無とは関係なく、文書化は必要。判例ベースで、納税者による借入という主張が認められるためには、善意の債権債務者間の関係が構築され、また借入が経済的に合理的である、という2点が重要となる。前者に関して、借入と言う形式が整っている必要があり、そのためには基本的なタームを文書化しているローンドキュメントの存在はMustと言える。後者に関しては基本的には借入を実行する段階で返済・利払いにかかわるリアリスティックな可能性が存在していることを証明できる点が重要。

「そんなんだったら最終規則の文書化要件が撤廃されても意味ないじゃん・・・」って思われる方はあわてんぼうのサンタクロースだ。最終規則に規定されてた文書化要件は判例ベースから最低限必要と考えられるスコープを逸していた。特にデフォルトを明確に規定し、デフォルトが発生した場合に取るべき措置を明記し、さらに実際にデフォルトが発生した場合には文書化に基づいて取るべき措置を本当に取っている旨を同時文書化すること、とかしていた。独立企業間だったらっていうフィクションで考えるという趣旨はもちろん分かるけど、所詮は身内の貸し借りなので資産差し押さえてもしょうがないし、この点は重荷のひとつと考えられていた。さらに場合によっては未収金のようなMiscellaneousな取引に文書化が求められたり、キャッシュプーリングやキャッシュマネージメントにかかわる返済能力の同時文書化も従来の域を超えるものが求められていた。さらに「Killer」だったのは、最終規則に基づく同時文書化が存在しない場合にはその事実のみをもって借入をEquityとみなす、という規定。テクニカルにはDebt/Equity Ratioが1:9でも文書化がないと1はEquityになるし、未収金みたいな取引もEquity(苦笑)になったり、少しやり過ぎでは・・・、と思われていた。なので、最終規則の文書化要件が撤廃された意味は、これらのとてつもない困難が無くなった点にある。普通の関連者間の借入に関する基礎的な文書化は引き続き必要だ。

で、最終規則のもう一方のコア規定となる「Funding規定」だけど、こっちは近々無くなるような気配は漂わせながらも、ひっそりと(?)存続していた。2017年12月の税制改正成立前の段階では、税制改正の立法自体が不透明な状態だったので、税制改正が成立するかどうかを見極めてから、Funding規定の運命を決めるとしていた。「トランプ政権を以てしても即撤廃じゃないんだ・・・」って不思議な感覚はあったけど、まあ確かに米国MNCによるBase Erosion懸念は超Realなので、それはそれで一つの見識ではあった。

そして2017年12月に30年振り、クロスボーダー課税に関しては60年振りの全面改定となる税制改正(「TCJA」)が成立。両院共和党、ホワイトハウスも共和党という大型法案の可決に恵まれた環境を利用して電光石火のように可決されたTCJA。OECDのBEPSアクションプランが草野球に見えるくらい、メジャーリーグ級の新規定乱発。僅か数週間の立法プロセスでクロスボーダー課税100年の常識をいとも簡単に書き換えてしまった。可決から2年近くなるけど、読めば読むほどTCJAは凄い。クロスボーダー課税を裏の裏まで知り尽くした者にしかあの法律はドラフトできないだろう。TCJAの凄まじさに触発されてOECDがBEPS 2.0に着手した点は想像に難くない。GILTIとBEATっぽいピラー2はTCJAとは似て非なるものな点は次回触れたい。で、TCJAには新Section 163(j)、BEAT、Anti-Hybrid、GILTIとこれでもか、というレベルでBase Erosion対策が講じられたことから、Funding規定の必要性はなくなったように思われ、TCJAを花道(?)として全面撤廃のステージが整った。

ステージ作りは終り、全面撤廃をパフォームするアーティストの登壇を待つばかり・・・のはずだったんだけど、2019年10月31日、財務省はいきなりFunding規定に大幅な緩和措置を講じるものの、しばらくは撤廃せずに「新Funding規定」という形で様子を見ると発表する。

具体的には「新規則策定にかかわる事前通知」とでも訳したらいいだろうか、「Advance notice of proposed rulemaking」を公表し、その中で財務省はTCJA後のNew WorldでもDebtプッシュダウンを利用したBase Erosion懸念が完全に払拭された訳ではないとし、緩和こそするもののFunding規定は当面存続させる意図を表明した。う~ん。新Funding規定と来たか。さすがSection 385の最終規則はとことん見せてくれる。

事前通知は、新Funding規定下では6年間のみなし事実認定規定は撤廃すると明言している。これはグッドニュース。その代わり、関連者間の借入が邪な取引の資金に使途されているかどうかは個々の取引の事実関係に基づいて判断するとしている。え~、元々そんなことしたらIRSに勝ち目がないからみなし事実認定規定を導入したんじゃなかったっけ。更にどんな時に個々の事実関係に基づいてそのような判断に至り得るかっていう具体例として、「借入と邪な取引が同一のプラン下で実行されているようなケース」が挙げられている。それはそうだけど、当たり前過ぎて例示の価値がないし、そんな狭義な判断だったら、Funding規定はほぼ骨抜きで、実質廃案に近い。なんか、手続き的に撤回するのは面倒だけど、実質無くそうとしているような変な印象を受けてしまった。まあ、納税者の立場からすると悪い話しではないけどね。

この有難い新Funding規定だけど、現時点での早期適用は認められず、実際に今後公表される予定の草案が最終規則になった日以降に開始する課税年度から始めて適用できるそうだ。ということは、当たり前だけど、その日が来るまではテクニカルにはFull-BlownのFunding規定が適用されることになる。運悪く6年間のみなし規定でEquityになってしまった債権は、新Funding規定施行時には新基準で見直してくれるのかな。そうするとその時点でEquityがDebtにRecapされるんだろうか。借入能力やマーケット金利が異なってたら、DebtのみなしIssue Priceとかどうなっちゃんだろう。E型再編とかになっちゃったりしてね。その辺りも規則で規定されるんだろう。それにしても無くなることが分かっていて、複雑過ぎてIRSによる施行実効性に疑問があり、実務的に対応が困難な規定をしばらく適用しないといけない納税者の負担は無駄に大きい。実際にはIRSは余り気にしなさそうだけど、何かケチが付く可能性があるとしたら、会計監査の際に大手監査法人によるTax Provisionレビューとかで受ける指摘かな。

という訳でSection 385最終規則でした。米国税法の条文って9000番台まであるけど(もちろん必ずしも連番ではなく数字は飛んでるけど、要はたくさんあるってこと)、どれ一つとってもDeepで、楽しめるね(後者はちょっとおかしい?)。

Wednesday, November 13, 2019

米国過少資本税制385条規則の「Funding規定」緩和策(3)

前回はSection 385の不遇というかちょっと可哀想な歴史に触れた。オリジナルAbbey Roadが発売された1969年に制定されたSection 385に基づき、1980年にようやく公表された(旧)財務省規則。その11年の間にThe Beatlesは解散し、度々の再結成の噂も結局実現せず、John LennonはNYCのDakota Apartmentsの前で撃たれてしまった。ちなみにDakota Apartments(正確にはあそこの法的所有形態はCo-Op)の「Dakota」って名称だけど、その昔はマンハッタンでもDakotaのある72ndとかは最初の頃人が住んでいたLower Manhattan、今でいうFinancial District、から馬車で遠かったので、まるでDakotaのよう、という意味だったとか。あんなメインでCentral Parkに隣接している一等地がね。1980年と言えば、一方のPaul McCartneyは1月にWingsで来日したんだけど、ナンと成田空港の税関でマリワナ不法所持で逮捕され、The Beatles以来となるはずだった武道館コンサートが全てキャンセルと言う信じられない展開もあったね。全日のアリーナのチケットを持っていて大ショックだった件は以前のポスティングで触れたからもう書かないけど、あの逮捕劇はどうも、John LennonとYokoが日本で定宿としていたホテル・オークラをPaul McCartneyも使用すると知ってそれを良く思わなかったYokoが、Paulの来日前に日本政府に何か連絡をしたとかしないとか、みたいな複雑な裏話をたまたまロンドンで買ったJohn Lennonに若干批判的な伝記(?)のどこかのページで読んだ記憶がある。本を買ったMayflowerの辺の景色とか雰囲気は良く覚えてるんだけど、その話しが書いてあったページが今では探せず仕舞いで、まさか夢じゃないよね。まあ、The BeatlesもLet It Beの頃はいろいろあったみたいだからね。そんな状況でも最後にAbbey Roadみたいな完成度の高いアルバムを残せるっていうは凄い。Abbey Roadの50周年記念盤となるSuper Deluxe Editionに「The Ballad of John and Yoko」のOut-trackが収録されてて、あの曲はJohn LennonとPaul McCartneyの2人だけで録音した曲として昔から有名だけど、ドラムセットにいるPaulのことをJohnが「Ringo」って呼んでたり、それを受けてPaulがJohnを「George」って呼んでたり、和気あいあいな感じでとても最後な感じはしないけどね。あと2~3枚The Beatlesとしてアルバムを残してくれてたら、その後のソロアルバムの質から考えても相当良かっただろうにね。

で、The Beatlesが完成度の高いAbbey Roadを録音して解散してしまった一方、財務省規則の完成度はイマイチで、結局1983年に完全撤回。50周年記念のSuper Deluxe Editionとして(?)2016年の新規則を公表するも、こちらの完成度もかなりイマイチ。というか、債権が実態としてDebtなのかEquityなのか、というSection 385の本来の目的・ポリシーには一切触れず、正当にDebtと区分された債権をBase Erosion対策という別のポリシーに基づき、無理やりEquityにみなすという、どっちかっていうと旧Section 163(j)のEarnings Stripping規定に近い目的の全く別の代物に生まれ変わって登場した。Abbey Roadの50周年記念って言われて聴いてみたら、中身はYellow Submarineでした、みたいな状況だ(?)。

さらに規則の適用が実務的に不可能に近い面倒な内容になっていた。まるで「GILTI」をチョッと真似てるけど、ポリシー的に全然別物でシンプルにしようとして逆に複雑な規定になっているOECDのピラー2みたい(?)。ピラー2のConsultation Paperも公表されたので、この点は次のポスティングで触れないとね。

そんな2016年財務省規則のコアと言える規定が「Funding規定」。Funding規定が何をしようとしているのか、を理解するのにはLeveraged Distributionの話しから入るのがベスト。外国から米国に投資する際に、2016年当時の米国みたいに法人税率が高い国のOperationは可能な限りDebt Financeするべきっていうのは算数的に当たり前過ぎる初歩的な話しだけど、設立当時に間違えて、または余り深く考えずに(?)Equityを手厚くしてしまったとか、米国での業績が好調でEquityが大きくなってしまったり、とかの状況で、後から米国にDebt Pushdownする手っ取り早い手法がLeveraged Distribution。要は現金でなく親会社を債権者とする「Note(日本語だとチョッと変だけど手形?)」を分配することで、米国グループの資産を増額させることなく負債を増額させる(Equityを減額させる)取引だ。

Leveraged Distributionに最適な環境と言うのは、親会社の所在地で配当課税されず、配当に対する米国側の源泉税が条約で免除されているケース。え~もしかしてそれって日本のこと?って思った人が居たら、その通り。2009年の日本のテリトリアル課税化に伴い、日本も立派に米国からのLeveraged Distributionに好環境を提供してくれる国のひとつに仲間入りした。ただ、日本側の法人税率が米国の35%より低かったとは言え、他のOECD諸国の20%前半に比べるとチョッと高めで、Leveraged Distributionの経済効果は見劣りしてたけど。Leveraged DistributionやDebt Pushdown、更にDomestic Reverse Hybridの利用は、テリトリアル課税に移行した他国から米国への投資局面では教科書的なプラニングだったっだけど、2009年にテリトリアル課税に移行した後も、日本企業には全くCatch-onしなかった。なのにBEPSだとかピラー2だとか、Base Erosion対策のコンプライアンスばかり増えてチョッと気の毒。他国からの投資と日本企業の投資全てにアドバイスしたりして対応している米国Firmでの肌感覚から言って、日本企業の実直さというかBase Erosionに対する無頓着さと、他国からの米国投資および特に米国企業のシリアスさの差異はみんなが日本で思っている以上に激しいからね。

で、2016年の財務省規則では、Leveraged Distributionを行うために交付されるNoteは、仮に判例ベースのDebt/Equity Classification的にNoteが正当な借入と認められるとしても、「使用目的」が良くないのでEquityにすると規定していた。それまではLeveraged Distributionは認められていて、合法的だったので180度の転換。更にLeveraged Distributionと同様の効果を持ち得る取引として、米国グループ内の資産取得型適格組織再編、グループ内の株式移管をNoteを対価として実行するケースが挙げられており、これら計3つの取引が「邪な」取引として特定され、その対価として交付されるNoteは税務上は問答無用にEquityにすると断じていた。

更に、対価そのものはNoteでなくちゃんと現金で行ってても、資金をグループ内借入で調達すれば実質同じような効果が達成できる。極端な例で言えば、分配は普通に現金で行うけど、その資金を親会社または米国外関連会社から借り入れているようなケースではLeveraged Distributionと同じ結果を達成できる。Debt/Equity Classificationとは別のCommon Lawで、現金が同一プラン下で巡回するケースではCircular Flowといって、現金の動きはなかったものとして課税関係を検討する原則が存在するが、この手のプラニングを実行する者は、借入と分配は法的に同じプランではないと主張が通り得るようにするのが普通だろう。

そこで登場するのが「Funding規定」。Funding規定はその名の通り、3つの邪な取引をFundingしていると考えられる関連者借入は自動的にEquityにするというもの。ただ、お金には色がないことから、借入が邪な取引の原資となっているのか、すなわちFundingしているのか、って言う点をFacts and circumstancesで判断としてしまうと不確実性が高まると同時に、周到な事実関係を慎重に整える大手会計事務所や法律事務所が付いている大手企業にはIRSも分が悪い。そこで面倒な実態に基づく事実認定を一切不要とするため、2016年最終規則では、3つの邪な取引が実行された時点の前後3年、足掛け6年という長期間内に関連者間借入が存在している場合、特定の除外規定を充足しない限り、納税者の意図にかかわらず、邪な取引は関連者間借入を資金源としているという「反証不可能なみなし事実認定」を規定してしまった。かなり思い切りがいい。最終便でも何の躊躇もなくキャンセルする米国のエアラインのようなバッサリぶりだ。邪な取引って言っても分配とかも含まれる訳だから、常に取引の前後3年、計6年という長期間に亘り借入があるか、除外要件を充足しているか、一旦Equityにみなされる借入の返済や利払い時の取り扱いとか、そんなモニターどうやってするの~?という刺激的な規則だった。

2017年にトランプ新政権となり、オバマ時代の過剰規制から一転して規制緩和に。なんか長くなってきたのでここからは次回。

Thursday, November 7, 2019

米国過少資本税制385条規則の「Funding規定」緩和策 (2)

前回はAbbey Roadに収録されているOut-trackの話しと、Section 385には怖~い歴史があるっていう点に触れた。 実は書き始めてから気付いた偶然だけど、Abbey Roadのオリジナルリリースと385条の制定は共に1969年と双方共50年前の話しだ。今回はSection 385の悲劇の沿革に軽く触れてみたい。しつこいけど、Section 385っていうのは、そのものが過少資本税制という訳ではなく、税務上の「Debt/Equity Classification」に関して、議会が財務省にその判断基準にかかわる規則の策定権を与えている条文に過ぎない。最近は境界線がボケてる局面も散見されるけど、三権分立の概念が徹底している米国では、財務省は、議会が制定する条文そのものに規則の策定権およびその範囲が規定されていない限り、財務省規則を策定することはできない。

従来から引き続き今でも、特定の債務、基本的には関連者からの借入、を米国税務上、借入と認めるかまたはEquityと見るか、っていう検討は個々のケースの事実関係を基に、積み重なる判例ベースで行う。この点が争点となるのは、例えば同じ100を親会社から子会社が受け取り、借入ですって言えば、5とか10の支払利息は毎期米国で費用となり、いくつかの制限規定を乗り越えることができれば損金算入できる。一方、Equityと呼んでしまうと、5とか10のリターンは配当となり、費用化できない。受け手国の税率、受け手側の課税ポジション、所得の取り扱い、源泉税、FTCなど複雑な検討をしないとどちらが得かは一概には決められないけど、米国議会や財務省から見ると100は借入でない方がいい。100の受け取りにどんなラベルを貼るかは身内の話しなのでほぼどうにでもなることから、納税者は借入って言ってるけど、本当に債務者側に借入能力(=返済能力)があるか、返済や利払いの期日が規定されていたり、善意の債権債務者間の関係に準じる関係が構築されてるのか、等の観点から実態として借入と認めるべきか、っていう点の確認が必要となる。その際に、特定のDebt/Equity Ratioとかの安全ガイドラインは存在しない。グループファイナンスカンパニーだったら97・3でもいいかもしれないし、スタートアップだったら50・50でもダメかもしれないし、これは個々の取引の経済分析の世界。

条文との対比で判決は、個々のケースの事実関係を徹底的に加味して法律を適用するため、特定の事実関係には整合性が高い検討・結果が可能になるっている優れた点を持つ一方、複数の判例を基にCommon Lawベースで将来に使える一定のルールを見い出す、すなわち判例をシンクロナイズしようとすると、取引を取り巻く事実関係が判例と同一と言うことはあり得ないし、また控訴審の管轄地域毎に異なる解釈が共存したり、最高裁以外の判決に関してはIRSが必ずしも他のケースで判決結果を踏襲しなかったりと、予見可能性が低いという欠点がある。

そこで、予見可能性を高めるため、The BeatlesがAbbey Roadをリリースして未だ3カ月という1969年12月にTax Reform Act of 1969が可決され、Section 385(a)および(b)が制定される。ちなみにニクソン大統領が署名して法律となった1969年のActはAMTを導入した法律として悪名高い。当時はM&A増加を背景に借入規模の拡大が懸念されており、特定の債務を米国税務上、借入またはEquityのどちらと取り扱うかの判断基準をより明確にするという趣旨で規則策定権を財務省に与えるとしている。具体的には(a)で策定権を与え、(b)は判断基準として加味するべき基準を判例ベースに列挙している。

規則策定権を付与された財務省は、実に法律が制定されてから10年以上の時が経過した1980年3月24日に満を持して(旧)規則草案を公表。9カ月後の1980年12月31日に規則を最終化する。その時点で(旧)規則の適用開始は1981年4月30日の予定だったんだけど・・・。

財務省規則に規定された判断基準は、全ての事実関係に適用できる一般ルール策定の困難さを露呈し、喧喧囂囂の論争の末、1981年内そして1982年へと2度に亘り適用開始が延期される。さらに適用開始を待たずに1982年の七草粥も開けぬ1月5日には早くも修正規則草案が公表されることになる。そして、1982年6月にはナンと3度目の適用開始延期措置が発表され、もはや泥沼化。そして、結局適用開始を迎えることなく(旧)最終規則は1983年11月3日、日本では文化の日だけど、ついに完全撤回となった。今回の2016年(新)最終規則の文書化要件が適用延期の末に撤回されたのと似過ぎてて怖いね。

その後、1992年には議会がSection 385に(c)を追加し、納税者が自らが選択する借入・Equityの形式的な区分は、納税者の税務申告時の取り扱い決定には拘束力を持つ旨を規定した。二枚舌禁止ってこと。

このように規則策定には散々な歴史があり、もう二度とSection 385の規則策定権を行使することはないのでは、と思われいた中、(旧)規則の撤回から30年以上の歳月を経て、再度2016年の規則に繋がっていく。1980年代のドラマに懲りたのか、新規則にはDebt/Equity Classificationの判断基準は一切規定されておらず、前文にそれは今まで通り、判例ベースで決めて下さい、と一言だけ触れられている。。

次回はFunding規定及び今回発表された新Funding規定に関して。

Sunday, November 3, 2019

米国過少資本税制385条規則の「Funding規定」緩和策

せっかくAbbey Roadの50周年記念盤となるSuper Deluxe Editionが発売され、その話題でさんざん盛り上がろうと思ってたのに、GILTI/FDII/BEAT/新163(j)/新FTC、等が初めてフルに申告書に反映される2018年暦年申告書が10月15日Dueだったり、OECDのピラー1・2とか、クロスボーダー課税を取り巻く話題は事欠かず、ついに11月に差し掛かってしまった。そんな中、財務省がSection 385最終規則にかかわるアップデートをハロウィーン・パーティーの一環で公表したので今日はその辺りの話し。

でももちろん、まずはAbbey RoadのSuper Deluxe Editionの話し。オリジナルバージョンのリミックスはもちろんそれはそれで素晴らしいけど、やっぱり今回の目玉は今まで未発売の「Out-Track」たち。Out-Trackだけでも23曲、しかもその中には複数の曲で構成されているメドレーがあるので、実際にはもう少し多くの曲が収録されている。凄い。スタジオにはもっともっとテープが残ってるだろうから、惜しまずに50時間分でも何でも発表しちゃえばいいのにね。$1,000位だったら購入するファンは一杯いると思うけど。Out-Trackの中には、Anthologyや他の海賊版、Youtubeで既に聴いたことあるようなトラックも少しあったけど、初めて聴くものも多い。しかも、もちろんだけど海賊版じゃないので音質にも問題ないし。

Abbey Roadって完成度的にはSGT Pepper’sに勝るとも劣らない名作で、バラバラ感溢れる別の意味での名作のWhite Albumの次に発売(レコーディングはLet It Beの後)されているこから、その対比も楽しい。特にLP時代の人は分かると思うけど、Abbey Roadの「B面」のメドレーっぽいところは緩急自在で、レコーディングっていう意味ではビートルズとして最後のセッションとなった訳だから、集大成的で迫力満点。どこからをメドレーって考えるかは意見の分かれるところだど思うけど、個人的にはYou Never Given Me Your MoneyからThe Endまでをひとつのパッケージと考えている。

Super Deluxe Editionには多くのOut-trackが入っていて大満足。You Never Give Me Your Moneyの初期バージョン格好良すぎ。あの曲自体、大きく分けると3部構成っぽいけど、「out of college…money spent…」の辺りからの「one sweet dream・・・」って変わっていく辺りのドライブ感は初期バージョンで既に実現されていて最高。ギターのオラクルだったEric ClaptonがJohn Lennonはギターがうまいと言っていたらしいけど、良く分かる。サンバーストの色を剥がして白くなってしまったEpiphone使ってるんだろうけど、良くあんなリズム感を出せるね。リンゴのドラムもいいドライブ感が出てる。

Track 20のMean Mr. Mustard初期バージョンでは「his sister Pam works in the shop・・・」の歌詞が「his sister Shelly works・・・」になってたり、Golden Slumbers(Takes 1-3)ではピアノの伴奏にのって「Day after day・・・」ってPaul McCartneyがジョークで The Fool On the Hillをチラッと歌ってみたり、You Never Give Me Your MoneyのTake 36ではなぜかピアノにレスリー効果が掛かっていて、Paul McCartneyが「Leslie off please」とか言ってたり・・。多分ビートルズに興味ない人からしてみると全部どうでもいいことなんだろうけど、小学校低学年の頃から家に走って帰って数枚しか持ってないシングルの両面を繰り返し聴いてた身としてはゾクゾクする感動の音が満載だ。

で、そんな感動の毎日を過ごしている中、今度は余り感動できないニュースがハロウィーンに公表された。385条の財務省規則で、未だにしぶとく行き残っていて、税制改正の暁にはお蔵入りと想定されていたFunding規定が、大幅な緩和措置が講じられるとは言え、撤廃にならないという財務省の通知が公表されたニュースだ。

この385条の財務省規則と言えば、2017年の税制改正前夜の2016年、米国税務業界一番のホット・トピックだった。オバマ政権が末期に無理やり押し込むようにSection 385に基づいて最終化したアレだ。

Section 385って条文に関しては、結構誤解が多く、Section 385が米国の過少資本税制そのもののように言われることがあるけど、そういう訳ではなく、Section 385は、納税者が「借入」って言っている債権を、米国税務上も借入と認めるか、それとも税務上は「Equity」とみなすかという「Debt/Equity Classification」に関して、議会が財務省にその判断基準にかかわる規則の策定権を与えている条文に過ぎない。で、そんな風に議会から付与された権限を基に行政府である財務省がオバマ政権末期の2016年10月に公表した最終規則は、ナンと肝心のDebt/Equity Classificationにかかわる判断基準には一言も触れていない一方、厳しい「文書化要件」を規定すると同時に、実務的には適用が非現実的とも言えるとてつもなく複雑な「Funding規定」に多くのページを割いていた。議会が法的に制定を認めている点には触れず、Funding規定のように、債権が借入かどうかという判断そのものではなく、米国グループへの負債Pushdownを通じたBase Erosion対策を規定している点、行政府に与えらえた権限を逸脱しているのではないか、と公表当初から三権分立の観点で合法性を疑う向きもあった。

実はこのSection 385は、財務省がトラウマに陥るような法文で、恐ろしい(?)過去がある。前にも触れたかもしれないけど、その怖すぎる過去をまずは紐解いた上で、今回の進展の話しに移りたい。