7月末に米国下院で「Farm Bill」という名の農業関係の法案が可決された。今後、上院にて審理、最終的にはブッシュ大統領の署名を経た後に法律となるので現段階ではどのような形で最終化されるかは未知である。通常であれば、タックスを専門としている我々が敢えてFarm Billに言及する理由などないのだが、今回の法案にはとんでもない税法改正案が盛り込まれている。法案のタイトルには全く関係がないところで増税が規定されているという点で、2007年7月6日にポスティングした「Energy Bill法案にはグリーンカード放棄に対する課税強化案が盛り込まれていた」という点に似ている。
*「Fairness in International Tax」という歳入法案
Farm Billの内容そのものは私の専門外の分野であるが、この法案は農業関係に従事する者に様々なインセンティブを規定しているため、歳出が発生するらしい。となるとどこからか歳入を探してくる必要がある。そこで目を付けられたのが外国企業の米国子会社が支払う利息、ロイヤリティー等に対する源泉税である。この歳入案はFarm Billに添付される「Fairness in International Tax」という「わざとらしい」名称の法案に規定されている。それにしても米国の法律は「American Job Creation Act」とか米国市民に訴えかけるような名称を持つ法律・法案が多い。
法案の規定が最終化された場合にはSec.894を改訂する形で税法に反映される。内容としては次のようなものである。
外国企業のControlled Groupメンバーである米国法人が外国のグループ企業に支払う際に納付するべき源泉税は「実際の支払い先に適用される源泉税率」または「Controlled Groupの外国親会社に直接支払われたとしたら適用される源泉税率」のいずれか「高い方」の税率に基づいて算定される。
通常は「Controlled Group」と言えば80%以上(議決権または価値 - 企業再編に適用される80%Controlとは考え方が異なるので注意)の資本関係がある企業グループのことであるが、今回の規定目的では80%以上の代わりに50%超の資本関係を基に「Controlled Group」が決定される。規定の対象となる支払いは米国企業側で損金算入される項目である。したがって、利子、ロイヤリティー等が対象となり、費用化が認められない配当には適用されない。さらに、規定は「もしグループの親会社に支払っていたらどうだったか」と仮定の比較を行うというものであることから、実際に外国の親会社に対して支払う利子、ロイヤリティー等には影響がない。
*どこが「Fairness」か?
米国財務省の一部には、外国企業が租税条約ネットワークを利用して米国のタックス負担を不当に低減しているという懸念が未だにくすぶっている。外国企業グループが米国に貸付を行ったり、ライセンス契約を締結する際に、租税条約の恩典が一番大きい国を選んで取引きを行っているという懸念である。しかし、これをもってアンフェアとするのであれば、基本的なタックスプラニングは全てアンフェアとなり得る。
租税条約の利用は多くの国との条約に盛り込まれている「恩典制限条項(Limitation on Benefits)」で既にかなり厳しく制限されている。2005年から施行されている日米新租税条約の第22条も典型的なLOB条項である。租税条約の規定を満たしているにも係らず条約の恩典を否定するというのはフェアではない。この法案を提出したのはテキサス州の民主党議員Doggett氏であるが、米国の保護主義化を助長するような動きであると言える。このような法律が現実のものになれば、租税条約の締結相手国から「報復」措置を受ける可能性も高く、米国のグローバル競争力に害を及ぼす結果となる可能性が高い。ちなみに外国企業の米国現地法人は510万人の雇用を創出し、年間$3,245億に上るPayroll Taxを納付しているそうだ(数字はNFTCの資料から)。
*日本企業米国子会社への影響は?
幸いなことに、日本企業にとっては日米租税条約に規定される源泉税率が少なくとも他の租税条約と同等かそれ以上に低い(利息は通常10%、ロイヤリティー0%)ことから、例え法案が可決されたとしても被害は少ないであろう。もしグループファイナンス会社が日本外にあり、利息に対して0%の源泉税率が適用されているようなケースでは10%の源泉税率となるという悪影響がある。また、ロイヤリティーに関して言えば、日本企業は未だに無形資産を日本の親会社保有とする(すなわちCost-Sharing等の規定を有効活用していない)ケースが多く、支払いそのものが親会社であるケースが多い。したがって実害は少ないと推測されるが、議会が保護主義的な方向に進むことは望ましいことではない。