日本のLLCとかLLPが用語は同じでも米国のそれとは内容的に極めて異質なものである点は前回のポスティングで触れた。そんなポスティングをしていたらタイミングを同じくして2日ほど前に新聞報道で日本における三角合併の適用例が大きく報道されていた。日本での三角合併に関する記事は奇しくも日米の三角合併制度の差異を浮き彫りにしているという意味で興味深かった。同じ用語でもこれほど内容が異なるのかという事実を今更ながらに再認識させられたからだ。なおタイトルの「似て非なるもの」であるが、これは単に「見た目は同じでも内容は異質」という意味で使用しているだけで、どちらの国の法律が優れているという意味は一切含まれていない点は明確にしておく。
*米国シティーグループによる日興の完全子会社化
2007年10月3日の新聞報道によると米シティーグループは日本の三角合併方式を利用して日興コーディアルグループを完全子会社化すると発表している。各紙の記事には三角合併について「今日のことば」「キーワード」等として簡単に説明されていて面白い。日経では今回の子会社化を「初の三角合併方式」というサブタイトルをつけ「三角合併は国境をまたいだM&Aをする際に、合併や買収の対価として現金ではなく株式を使う手法」と記載している。
*米国三角合併との違い:歴史
この説明ひとつ見ても米国の三角合併との違いが分かる。米国では50年以上も前から当然のように頻繁に使用されている手法であることを考えると、2007年にして「初の三角合併」という報道は歴史の差を感じさせる。米国では合併その他企業買収に係るストラクチャーは州の会社法に基づいて実行されるが、州会社法で三角合併は古くから規定されているし、連邦税法でも1960年代には「Forward三角合併」、1970年代前半には「Reverse三角合併」に係る非課税再編の適格条件が規定されている。
*三角合併制度の使用目的
また「国境をまたいだM&Aをする際」というところも、日本の三角合併が当初から外国企業による日本企業買収を制度導入議論のひとつの軸としているからならではの説明であろう。米国の三角合併は国内の株式買収等に広く用いられている。株式交換、株式買収があくまでも個々の株主との契約に基づき実行される米国において、100%株式買収するには「Reverse三角合併」はなくてはならない手段であるし、通常の合併においてもターゲット企業の負債を買収企業本体で引き継ぎたくない場合など「Forward三角合併」も米国内で通常に利用される再編手法である。
また今回のシティーグループのケースでは、見出しに「三角合併制度の利用」と大きく記載されていると同時に記事の中身をよく読むと「株式交換制度」を利用して100%の持分取得とある。この辺りも米国的には分かり難い。というのは米国では三角合併という手順そのものでターゲット企業の100%の株式を取得し、その場合には別途「株式交換」というプロセスは存在しないからだ。
*合併対価
「合併や買収の対価として現金ではなく・・・」という部分も合併対価が三角合併の場合には柔軟化されているような印象を受ける。米国では二社合併、三角合併を問わず、どのような合併でも対価は何でもいい。対価に占める株式の比率が問題となるのはあくまでも合併が課税か非課税かを検討する際のみである。したがって二社合併でも三角合併でも「Cash Merger」と呼ばれる現金のみを対価とする合併は日常茶飯事に行われているし、逆に非課税としたいのであれば合併の形態を問わず株式を対価として用いる。
*三角合併で用いられる合併子会社(Merger Sub)
この点に関しては新聞では特に触れられていないが、シティーグループが今回日本の三角合併制度を適用することができたのはシティーが既に日本で既存の子会社を有していたからであると思われる。米国での三角合併は多くのケースで(Reverse三角合併の場合にはほぼ全てのケースで)、三角合併をするために特別に設立される「Merger Sub」が使用される。
日本では外国企業が三角合併の目的のみで急にカラの子会社を日本に設立したようなケースでは三角合併という制度そのものが利用できないと理解している。そもそも日本企業を買収しようという外国企業は日本に新たに進出してきたいという希望を持っているケースが多いことを考えると、このような条件はかなり制度そのものの使い勝手を悪くしている。もっとも敢えて使い難くして外国企業による買収をスローダウンさせるという意図があったのかもしれない。だとしたら極めて中途半端な考え方に基づく制度である。
*どうしてここまで違うのか?
上の差異はあくまでも米国から日本の三角合併を見るという観点から書いているが逆から見ても全く同じことが言えるであろう。すなわち日本の三角合併を含む再編の専門家が米国の三角合併の話を読んだら「何のことだ、これは?」と思われる局面が多いことが容易に予想される。
いずれにしても用語、その基となる会社法に関してもう少し二国間で共通性があってもいいのではないかと感じてしまう。両国で事情は異なるとは言え、米国で一応長い間うまく機能している手法なのだから同じ名前で敢えてここまで異なるシステムにしなくてもよかったのではないかと思う。これは僕が米国のシステムに余りに慣れているからこそ思う点であることは十分に認識しているが、東京がグローバルなキャピタルマーケットの中で競争力を高めて欲しいと思う個人的な希望からも余り好ましい状態ではないと感じてしまう。