Saturday, June 23, 2018

最高裁判例「オンラインショッピングと売上税」(1)

本来、税制改正の国際課税にフォーカスしたいところなんだけど、トピックが余りに広範かつ面白すぎて、どこからキックオフしていいかチョッと途方に暮れかけたところ、2018年6月21日に連邦最高裁判所が、オンラインショッピングとかの州外販売者に対して州売上税の徴収権拡大を容認する旨の判決を下した。しかも、最高裁判所自らが過去の最高裁判所の判例を覆すという、Stare Decisis、すなわち先例拘束力の原則をベースとする判例法の米国において、異例の判断となった点で、今回の判決はかなりBig Dealと言える。という訳で、柄にもなく(?)、急遽、売上税を扱っている当判決に触れてみたい。

トランプ政権、というかトランプ大統領個人が、アマゾン、特に創業者のJeff Bezosを目の敵にしていて、アマゾンは売上税も払わずに米国の郵便システムを自社の物流システム同然に低料金でこき使って、荒稼ぎしている、というようなコメントをTwitterとかで繰り返しているのは周知の事実だけど、となるとトランプ政権にも白星的な判決かも。

ちなみに、確かにその昔は、近所のB&NとかBordersみたいな本当の(?)本屋さん(スタバとか併設されていて憩いの場として懐かしいね!)で本を買うと売上税を支払わないといけないのに、まだ怪しいスタートアップ(?)みたいな存在だったアマゾンで同じ本を買うと売上税を支払わなくてよかった時代もあった。でも、それは今は昔。現在ではアマゾンは全米を網羅する物流ハブを有していることもあり、アマゾンで買い物すると少なくとも州レベルの売上税は徴収されているように思う。アマゾンを利用している第三者のベンダーは未だに徴収していないケースもあるかもしれないけど。トランプ大統領のアマゾンやJeff Bezosに対する批判的なコメントは、売上税の話しではなく、どちらかと言うとJeff BezosがThe Washington Postっていう米国で影響力が大きい新聞社を所有してるけど、このThe Washington Postが大統領に批判的な社説を記載することが多い、ってことに起因していると見るべき。アマゾンのビジネスモデルにケチを付けているのは「八つ当たり」的な側面が強い。

で、今回の判例だけど、「South Dakota v. Wayfair」っていうケースで、South Dakota州内に物理的な存在を持たない州外の販売主が、オンライン等を通じてSouth Dakota州内の顧客に物販等を行う場合、South Dakota州の売上税を徴収しなさいって言う州法を容認する判断となった。

「そんなの当然じゃん」って思うかもしれないけど、事は法的にも実務的にもそこまで簡単な話しではない。まずはその辺りの背景に関して少し。

今回の判決の争点を再度整理すると、州内に何の存在も持たない「州外」の販売者に対して、州が「州法」で販売者による売上税の「徴収義務」を強制することができるか、っていう点。結果はイエスだったんだけど、逆に今回の判例が出るまでは、そのような法律は連邦憲法違反とされていた。ここで判例を理解する際に必要となるいくつかポイントだけど、まず、米国の売上税は州法だということ。米国には連邦ベースの売上税、VAT、消費税は存在しない。連邦法であれば、どこの州の販売業者であろうが一網打尽に対象となるけど、州法なので、今回のような問題が起こり得る。

さらに州の売上税は、有形資産(最近はこの解釈が拡大傾向)の「最終消費者に対する小売段階」で販売主が徴収するメカニズムになっていて、サプライチェーンの各ステップで付加価値に課税するVATとは異なる。州の法律なので、州によって売上税の対象、税率はまちまちで、同じ州内でも群が異なると税率が微妙に違ったり、さらにFlorida州とかNevada州(ベガス!)を含む7州ではそもそも売上税自体が存在しない。納税者が何らかの拠点を持つ州や郡で売上税を徴収するのは仕方がないし、元々やらないといけないとなっていたけど、縁もゆかりもない遠方からたまたまオーダーが入ったりして、その都度、そこの州や郡の仕組みを調べて売上税徴収の対応をさせられるのは実務上かなりのチャレンジとなる。それで、従来の判例が合理的な判断となっていた訳で、今までも例えば、South Dakota州に登記している法人とか、South Dakota州に店舗、倉庫、その他の物理的な施設を持っている販売主に対して州が売上税の徴収義務を課すことには何の問題もなかった。

これは米国の州の法的管轄権にかかわるDue Process的な問題だけど、敢えてザックリ言うと、州が何者かに対して州法を行使するには、対象となる者とその州の間に「何らかの関係」が存在しないといけない。国家主権に置き換えるとより分かり易いと思うけど、日本の法律が米国に住んでいる米国市民に適用できないのと似た話し。で、どこまでの活動や存在があれば、州に法的な管轄権が生まれるのかという点が争点となるけど、法的管轄権が生まれる「Minimum Contact(最低ライン)」を「Nexus」と言う。州の法人税でも、「そんなことするとCA州にNexusができちゃう」とか使うけど、まさしく、それも広義のNexusの具体的な適用法のひとつで、憲法上、それがないと州側に課税権が認められないことになる。同じNexusという用語でも適用対象となる法律により、考え方が異なり、今回の判決はあくまでも売上税にかかわるNexusの話しで、法人税のNexusには直接的に影響があるものではない。

州としては、当然、自州の法律を最大限に行使したい訳だけど、その歯止めをするのが連邦憲法のDue Processを中心とする条項。州が際どい法律を制定し、その被害(?)にあった者が訴訟を起こし、重要なケースだとそれが何年か掛けて最高裁判所にまで行き、運が良ければ最高裁判所がケースを取り上げ、判断が下されるという仕組み。その昔、CA州のWorldwide Unitary課税が違憲ではないかとバークレー銀行が訴えを起こしていたけど、1994年の「BARCLAYS BANK PLC v. FRANCHISE TAX BOARD OF CALIFORNIA」にて最高裁判所が合憲判断を下している。Worldwide Unitaryにかかわる背景を知るには「Must Read」な読み物だ。

更に、今回の判決はあくまでも売上税の州外「販売主」側の「徴収」義務にかかわるもので、販売そのものが最終的に売上税またはそれに見合う税金の対象となるかどうか、という税負担の話しとはチョッと異なる(ある意味、税制改正の国際課税におけるSection 864(c)(8)とSection 1446(f)のような関係)。米国の売上税は、有形資産の最終消費者に対する小売段階で販売主が徴収するメカニズムになっているけど、従来は、州側が州外販売者に売上税徴収権を行使できない場合、消費者側が自ら売上税同額を使用税として州に自主納付するシステムとなっていた。

つまり、オンラインショッピングとかオークションサイトで、個人を含む遠方の販売主から何か物を購入し、消費者が居住する州の売上税が徴収されていない場合には、買った側が売上税相当額を計算して、それを「使用税」という名前で州に自ら納付に行かないといけない。そんな義務があることを知らない一般市民も多いだろうし、企業と消費者間取引(BtoC)とか消費者間取引(CtoC)に基づく販売に関して、消費者がそんな使用税を納付しているケースは皆無に近かっただろう。

近年では州「個人所得税」の申告書に「オンラインショッピングとかで売上税が徴収されていない購入があったんじゃないですか?」みたいな質問が追加されていたり、州によってはご丁寧に「あなたの家族状況、収入レベルですと、大概、これくらいのオンラインショッピングがあったと推定されるので、使用税がこれ位発生します」という既定値まで表示して、それがイヤなら、自分の計算に基づく使用税を表示するように仕向けたり、といろいろと苦労していた。感覚的には、大多数の納税者が、既定値には「No thank you」となり、自分で計算してみたらゼロでした(苦笑)って申告していたんじゃないだろうか。唯一、使用税とか本当に支払ったり、州税務当局が本気で調査対象としてたのは、BtoB的な局面で、法人とか事業主が「最終消費者」となる設備とかを外国を含む州外から購入している際とかだろう。

さらに州側もいろいろと考えて、最高裁判所の判断に逆らうことなく、オンラインショッピングの州外販売主に売上税の徴収義務を課す理論構築をして、限界を試してきた。例えば俗にアマゾン・タックスとか言われてた近年の州の限界挑戦系の法律の中には、アマゾン等から報酬を受け取るAffiliateが州内に存在してる場合には、それをもってアマゾンのようなベンダーが物理的な存在を州内に有していると認定して、売上税徴収義務を課すと言うような類のものが含まれていた。Affiliateが州内にいるのかどうかの特定とか困難だろうし、歳入面で実務的にどれだけ有効だったのかは不明。

そんな実態だったんで、財政の厳しい各州にとって、州外販売主に対する売上税徴収強制権の行使は長年の悲願とも言え、今回の最高裁判所の判断はその動向が注視されていた。

なんか、チラッと売上税の判決を書いて終わらせるはずが、またしても期せずして長くなってきたので、一旦この辺にしておいて、次回、Nexus、最高裁判所が自ら過去の判例を覆した意味、そして判例を受けて今後どうなるのか、っていう点を簡単に整理してこの話は終らせたい。